漫画線の分類学

漫画とは結局線である。線を理解すれば漫画を理解できるのではないか?

大分類

 今回は漫画のもっとも基本的な構成要素である線の分類を行ってみる。
 漫画の線を全て分類できるとは思っていないし、それ自体はあまり意味のないことだとも思っている。
 しかし「その先」に進むためには、まずやっておかなければいけない作業でもある。

 線の重要な性質として、意味の多重性がある。
 同じ線でも複数の意味を持つことができるということで、例えばコマからはみ出したキャラの主線は、主線であると同時にコマ枠でもある。
 例えばブレ線は、主線(キャラ)であると同時に流線(ウゴキ)でもある。
 他にも騙し絵で分かるように、ツボと思ったら人の顔にも見えるといった表現も、漫画の中では多く自然な表現として登場する。特に杉浦茂の漫画にその傾向が強い。世の漫画が全て杉浦茂のような漫画であったら、線を分類するということを思いつかなかった可能性もある。もはや線はただ線であるとするしかない。
 このような線の性質からすると、線は分類することがそもそも難しく、線を分類することの無意味さの根拠ともなる。
 しかしまぁ、難しいからやらないでは先に進まないので、本稿を書いているわけだ。

参考:マンガ<表現>論

線のタイプ

 まず、一本の線そのものの描き方、つまり線(を持つオブジェクト)の属性を考えてみる。

線種(スタイル)

 線種は均一の太さの線で表現できる属性。
 漫画に限らず、地図や設計図(製図 - Wikipedia)、グラフなどの図に使われる線も同じようなスタイルを持っている。
 誰が描いても同じ(ものと判断できる)線になり、漫画家と読者の間で了解を取ることにより、間違いなく伝わる線。それが線種である。
 特に漫画でよく使われるのが以下の線種だ。

 例外的に、点線の点の代わりに文字を使うことによって線が表されることもある。
 この場合は、言葉によって線に意味を与えることができるので非常に強力な表現と言えるが、見た目が美しくないとか、文字が読みにくいとかあって、現状は例外に留まっている。

 あとはバネ状の螺線も入れても良いかもしれない。しかし螺線は使いやすいわけでも、漫画での意味が確立されているわけでもない。

 漫画の中の様々なオブジェクトに、これらの線種を付加し使い分けることで様々な意味を付加する。
 例えば次のように、フキダシの線に波線の属性を加えると「震えフキダシ」となり、弱々しい声である印象を与える。

 これらの線の意味は、「文脈」によって決定されるため、上記の特徴もある程度の傾向でしかない。
 そしてまた、その意味するところは「時代」によってもかなり大きく変化する。点線によるフキダシは、現在はひそひそ話に使われることが多いが、逆に大声を意味している場合もあった。
 特に通信を表す線は現在でもあまり安定しておらず、二重線、破線を中心に様々なバリエーションがある。

線質(タッチ)

 線質は、太さの強弱で作られる属性で、ほぼ実線にのみ存在する。
 ペンで描かれてきた漫画の線質はペンの種類で概ね決まる。例えばロットリングなら均一・細線。Gペンなら強弱の幅が広くイリ・ヌキがはっきりした迫力のある線。丸ペンはG ペンと似ているが、より繊細な線、といった感じ。
 均一な太さの線は図を、強弱のある線は絵を描くための線と言える。また均一な線は無機的で情のない、強弱のある線は有機的で情念のこもった印象を与える。
 また、直線から円弧、二次曲線、そしてフリーハンドの線と線の自由度が高くなるにつれ、そこに情感が産まれる。

 面にテクスチャが存在するように、線にタッチが存在する。そしてそれらは質感を表す。
 またその太さの抑揚で光を表現し陰を表現し、しかるに立体を表現する。
 これは漫画とともに水墨画に良く現れる線の性質だ。

 整った線、ぐにゃぐにゃした線、流麗な線、稚拙な線、強い線、儚い線、固い線、柔和な線。複雑な線に漫画家は想いを乗せ、読者はそれを読み取る。
 それは単純な記号の組み合わせで発生するものではなく、極めてライブ感の強い「その場限りの」表現でもある。
 なぜならそれは、漫画家の「運動が線として定着したもの」であるからだ。感情は運動に影響を与えるのだから、漫画家の「感情が線として定着したもの」でもある。
 線のタッチこそは漫画家そのものと言っても過言ではないだろう。

 漫画家は微妙な線の使い分けで動きや感情を表現する。そして素晴らしいことに日本人の多くは、その微妙な表現をかなり正確に読み取ることができる。

枠(フレーム)

 線とは何かといえばまず一つは「界面」である。二種のモノの境界。線によって「内・外」「前・後ろ」「空・地面」その他様々なものが浮かび上がる。界面とは何かを囲み切り取ることで成立する。これを枠と呼ぶ。
 ワク線によって囲まれることにより、そこに物体(カラダ)が切り出される。

 文字、特に描き文字で表現される音喩(オノマトペ)にもキャラと同様に、その輪郭が存在するが、その内部は一般に均一であり、枠とその内部と言うより「太い線」と捉えるべきものだ。
 勿論、音喩の中にキャラが描かれるなどの例外も存在する。

 コマ枠・フキダシ枠は主に線種により、主線はタッチによってその意味が作られる。
 枠は極めて面白い性質を持ち、漫画の成立に必要不可欠なものだ。そのうち独立したトピックとして語りたい。

 なお、漫画で最も強力な枠は見開きの四辺、特にだ。左右方向のタチキリである小口は、前あるいは後ページとの連続性があるが、上下方向の天地はどこにも繋がっていない。
 最も、これは左右開きのページ閉じという現在の主流のフォーマットを前提とした話で、トイレットペーパー漫画(があるとすれば)には当てはまらないし、コンピュータ上の漫画では破壊される可能性の高い前提である。

集合線

 線が幾つも集まることによって面が作られ、単独の線では持ちえない意味をもってくる。

ハーフトーン

 白黒が基本の漫画では、線の集合はハーフトーン(中間色・灰色)を作るための基本的手法だ。これがまず線の集合の使い方の第一のものと言えるだろう。
 カケアミ万線がその主なもので、基本的に光源からの光の方向に沿って線は引かれる。
 長い間、印刷で安定して薄墨などのハーフトーンを再現するのは技術・コスト的に難しかった。しかしそれが逆に、漫画の表現を広げることにもなった。
 現在はスクリーントーンによりハーフトーンの表現が広がり、さらには薄墨やデジタル入稿によるハーフトーンも印刷で再現できるようになってきた。
 さらに今後、紙に印刷しないコンピュータ漫画(パソコン、ケータイ、ゲーム機、その他)により、カラーも珍しくなくなり、逆にしばらくは紙に比べて解像度が低い関係で線の再現が難しくなる状況になる。
 ハーフトーンに限らず、漫画の線は岐路に立たされている。

効果背景

 効果背景のうち効果線に類する、抽象的背景を見てみる。

 同じような放射状の線でも、気付き線・集注線のようにある一点に向かうものと、明かり線・太陽フラッシュのように、中心から広がっていくものがある。
 その差は微妙だが、集中する方は線が途切れる位置がまばら、広がっていく方は集中点から等距離から線が始まって広がる傾向にある。
 また、直線ではなく線にカーブがつくことによって回転の力が加わり、より力強さが表現される。

フラッシュ

 フラッシュは集中線と同様の視線誘導効果がある。
 気付き線明かり線ニコ線消滅線はフラッシュの簡易版でもある。

効果輪郭

 効果輪郭のうち効果線に類する、抽象的輪郭を見てみる。
 輪郭とは漫画においては主線のことであり、効果輪郭とは主線を修飾する効果である。

文字

 文字も線によって描かれている。漫画では文字は絵でもある。
 コマの主役が文字のみであることも珍しいことではない。

 描き文字は効果線の意味も持ち、特に音引き(ー)、濁点(゛)、および「ツ」が、言葉として意味を伝える為に必要な量よりも過剰に使われる。折れ曲がりのない直線で構成される記号なので、記号として使いやすいのだ。

 大まかな方向性として、直線的なカタカナは集注線や流線に近い効果、曲線の多いひらがなはムード線的な効果を持つ場合が多い。

 以前は殆どのセリフはアンチゴチのフォントが使われていたが、コンピュータ写植が一般的になるにつれ、フォントのバリエーションも増えている。
 フォントは文字にタッチがついたものと言え、声の質を表現するために使い分けられる。

 文字に使うと読みづらくなるため、線種の使い分けはあまりない。
 震えている事を表現するため、描き文字で震え線を使ったりする程度。
 もちろん、点線で書かれた文字が絶対使われない、というわけではない。

 そもそも文字はcharacterであり、キャラもcharacterである。描き文字がコマの主役足りえるのも当然であり、文字がまた 顔文字(フェイスマーク)というキャラになるのも必然と言える。
 特に日本語の場合は、仮名漢字まじりの文が漫画と同じ「絵」と「音(言葉)」の組み合わせでできていて、日本語=漫画と言ってもあながち間違いではない。日本人はまず日本語の文章を読むことで、漫画の読み方の訓練をする。
 とり・みき「ロボ道楽の逆襲」の中の一編「伝道の書に捧げるマベビベビバラバラ」が、漫画と言語に関する漫画として面白い。

まとめ

 さて、夏目房ノ介が「漫画とは線である」と言ったが、本サイトではその立場は取らない。
 本サイトは「漫画とは静止したキャラと文字のセリフの組み合わせである」という立場を取る。
 だが、そういう立場であったとしても漫画にとって線が極めて重要な要素であるということは、否定できないどころか全くの当然と思わざるをえない。線と漫画の関係はそれほどの結びつきがある。

 そして線とは人間が世界を理解するために使う、極めて根源的な「脳の」道具でもある。
 人間の脳はモノを輪郭に分解する能力が極めて高いとされ、脳は面ではなく輪郭の集合として映像を記録するようになっている、というのが最近の研究である。
 要はベクター化(線化)することで画像データの圧縮を行なっているわけだ。
 漫画が線でできているならば、それは「目が見る絵」ではなく「脳が感じる絵」であると言える。

 脳が感じるということは絵に付加された情報も、やはり線で記録されていてもおかしくない。
 つまり、脳内の記憶には漫画のように効果線がついているのではないか、という仮説が成り立つ。

 そこで結論。

線は脳内イメージを描き出す道具だ