誰もが満足できる難易度

自分で魔法使ったぶん、サトシより偉いよな!
主人公が戦わないのは、ゲームではわりと良くあるシステム

万人にちょうど良い難易度

 誰でもクリアできるように難易度を下げることを「誰でもクリアできるゲーム」では否定的に書いた。
 ただ、理想的には誰でもクリアできた上で、クリアの達成感を誰もが得られる方が良い。
 そのあたり「達成感の魔力」にも少し書いたが、万人に達成感を与えられるように、ゲーム中どう調整しているかを今回は考えてみたい。

異なる難易度を用意する

 簡単・ふつう・難しいといった難易度を選択できる。これが一番簡単に思いつく対処法だろう。
 実際、多くのゲームで採用されている。

 アクションゲームでは敵の硬さの違いや、弾の数などで難易度が変化する。
 コマンド選択型アドベンチャーゲームでは、低難度だとフラグが立ったときに音などで知らせるとか、以前と同じリアクションしか返らない選択肢は色を薄くする、なんてものがあることもある。
 問題点は、低難度でクリアしても満足感がイマイチであること、時間のかかるゲームでは途中で難易度選択を誤ったと気付いてもやり直す気にならないこと。

 やり直しがつらいことへの対策として、例えばSCE/アルファシステム 俺の屍を越えてゆけは、ゲーム中いつでも難易度の変更ができる。
 しかし難易度の変更がいつでもできるとなると、雑魚は易しいでざっと片付け、ボスはいいアイテムが取れる難しいで倒すといったプレイができる。
 嬉しいような気もするが、ちまちま難易度変更することでプレイが煩雑になってしまう面も大きい。

 そもそも制作者が意図したのは、どのレベルなのかという疑心暗鬼が生じてしまう。
 特にクリアに時間がかかるゲームをプレイした場合、もう一回プレイしたとして、もはや初回と同じ感覚の難易度でプレイすることはできない。
 プレイしてみないとどの難易度が適切か分からないにも関わらず、プレイヤーがプレイ経験を積むので、プレイした段階で難易度が変わってしまう。
 つまり、最初に自分が選ぶべき難易度は絶対分からないのだ。

 個人にとってではなく、ゲームそのものとして、どの難易度がベストなのかという問題もある。
 難易度が高い場合、クリアのために正確にパターンをなぞる必要が出てきて、ゲームシステムとして用意していた楽しさが削がれてしまうこともある。

 対戦格闘ゲームなどでは、人と同じような思考ルーチンを作るのが困難なので、高難易度の場合の超反応の方がむしろ対処しやすい、なんてこともありがちだ。
 高い難易度を選択した方が実はプレイが簡単になっちゃう問題は、高度の思考ルーチンが必要なシミュレーションゲームでも起きがちだったりして、なかなか表記通りの難易度にするというのも大変である。

 あと表記の問題として、ほとんどのプレイヤーがとりあえず「やさしい」を選ぶので、むしろそこが「ふつう」じゃないのか? という話もある。
 だったらもう「ふつう」「難しい」「すごく難しい」に表記を変えた方か、「やさしい」を選択したプレイヤーに「負けた」感を与えないのでいいのでは、という気もする。
 プレイヤーは繊細なので、負けたと思わせないようにして欲しいものだ。
 逆に、セガ/トレジャー エイリアンソルジャーは、SUPEREASYとSUPERHARDしか難易度の選択肢がなく、普通がないというとんがった作りになっている。

自動でプレイヤーに合わせる

 そこで、難易度の調整をゲーム内で自動で行うことになる。
 コナミ グラディウスあたりがはじめていて、シューティングゲームでは良くある調整法ではある。
 アイレム イメージファイトとか、下手だと難易度が上がるという、なんだかよく分からない調整となってたりする。
 更には、ライジング/エイティング バトルガレッガのように難易度レベル調整のためにタイミング良く自爆するのが上手いプレイ、というもう何がなんだか分からない状態に至っている。

 連射すると難易度が上がるとか、それは上手い下手とは関係ないんじゃないか、というところで調整されていたりするので、知らない人は頑張れば頑張るほどクリアしづらくなってしまう。
 ちなみに、連射で難易度が上がるというのは連射装置対策なので、ゲーマー的には分からない訳ではない。その後のシューティングゲームではソフトウェア的に連射を付けて、連射装置自体の意味をなくすという方向に舵を切った。

 斯様にコンピュータによる自動調整は難しい。
 ロールプレイングゲーム(RPG)では、レベル上げによってプレイヤーが難易度を調整できるのが、極めて良くできた仕組みだ。
 プレイヤーが意識して難易度を下げなくても、何度かチャレンジしているうちに自然と難易度が下がる。
 ここで問題となるのは、ゲーム側が難易度を下げなくても、プレイヤーはプレイ経験が溜まっているので、難易度は下がっているはず、ということだ。
 もっと低いレベルでもクリアできたはずなのに余計なことしやがって、という気持ちが湧くこと。
 これはもう、ある程度どうしようもないことのように思う。
 解消方法は根本的なシステムではなく、難易度の下降曲線などのパラメータをどれだけ適切に調整できるか、というところにかかってくる。

 家庭用のアクションやシューティングゲームでは、プレイ回数(あるいはコンティニュー回数)が増えるとコンティニューできる回数や残機数が増える、という方法が取られていることが多い。
 経験値によって体力が増えるRPGと、基本的な考え方は一緒だ。

プレイヤーに難易度を都度選択させる

 ざっくり言うと、ハイスコアを狙うと難しくなるが、クリアだけなら簡単。みたいなヤツだ。

簡単ルートと高難度ルートを用意

 ちょっと遠回りになるが安全なコースと、近道だったりスコアが稼げたりするが危険なコースのように複数のルートを用意する。
 そうすれば、下手な人は慎重に安全コースを通ってクリアできて満足でき、腕に自信がある人は危険なコースを選んで満足できる。
 ジャンプアクションの類いでは、下の段は1ミスでゲームオーバーになる奈落が待っているが、上の段を通れば一度落ちても助かる床があるとか。

 本当に下手な人は、安全なルートに気付かず、わざわざ危険なルートを選んで自爆する、というパターンがよく見られたりもする。
 シューティングゲームでは、敵機の発進ゲートを先に潰しておくとスコアは落ちるが簡単になるとか、レーダーや斥候を倒すと難易度が下がる、みたいなのがあるが、このへん初心者は気付きにくい。

 さらに、上級者ですら攻略本やサイト、他の人のプレイを見なければ気付かない簡単ルート(安全地帯など)とかもあったりする。
 かんたんルートが初心者救済策になっておらず、初心者にはより難しく、詳しい人はより簡単に、というプレイヤーの幅を狭める調整だ。
 なぜそういう調整がなされるかというと、難しい=楽しいが成立していた時代だったり、プレイヤー人口が十分あるのでコミュニケーションを促進する仕掛けとして働いていた、という側面がある。
 制作者がアホな訳ではない。その時はそれも選択の一つとして正しかったのだ。

かんたん回避アクションを用意する

 例えば、シューティングゲームでは、カプコン1942のように宙返りで無敵とか、多くのボムシューでボムを使えば楽だが使わないで進むと高得点、というシステム。
 他にも良くあるのは、すり足でゆっくり移動すれば敵に見つからないとかトラップが作動しないなどの、難易度低下アクションが用意されてること。

 しかし、ボム使う前提で難易度調整されて、難しいルートと凄く難しいルートしかないゲーム、ができ上がってしまうのはありがちなこと。
 ハイスコア狙ってエクステンドさせていかないとクリアが難しいゲームとかも、最終的にはプレイスタイルを選ぶ余地がなくなってしまう。
 ただコレも、攻略法を見つけるまではプレイスタイルは様々だった訳で、攻略法を見つけ出すことが楽しかった時代の産物でもある。

 2013年現在ではインターネットの発達で、あっという間に最適解が見つけ出されてしまう。
 あまつさえ攻略サイトを見て自縄自縛(マニュアルどおりのプレイ)になっているにもかかわらず「プレイにバリエーションがない」とか言っちゃう人もいる。
 そんなわけで、攻略方法をガチガチに固めるスタイルは作りづらくなっている。
 とはいえそもそも「ゲームはどんな自由な発想でプレイしてもいいんだ!」よ(セイ君風に)。

上級者用アクションを用意する

 かんたん回避アクションの逆で、そのアクションを使うと早くクリアできたり、スコアが稼げたりするけど、使うと難しくなるアクション。
 分かりやすいのは、任天堂スーパーマリオブラザーズダッシュというアクション、ほとんどの場面でダッシュを使う必要はないけど、使うと圧倒的にクリアが早くなる。
 ハドソンボンバーマンの爆弾複数置きなんかは、沢山置けば一気にブロックを破壊できるが、自分が巻き込まれる危険も大きくなる。
 かんたん回避アクションと同様に、使う事前提で調整されると難しいアクションなしではとてもクリアできないゲーム、になってしまう危険性もある。

回復の余地を作る

 コナミツインビーでは、弾を食らうと腕がなくなって対地攻撃ができなくなるが、しばらく後で登場する救急車によって1度は回復できる。
 カプコン魔界村では、一度目の攻撃では鎧が取れるが死にはせず、アイテムによってまた鎧を着た状態に戻れる。
 そういう特殊なダメージと回復のシステムではなくても、単純に体力制のゲームで、ちょこちょこと体力回復アイテムを置くだけでいい。

 このパターンは、カプコンロックマンのE缶が成功例としてある。
 ただ、カプコンはこの成功例に溺れたのか、特に海外のゲームのローカライズの際に、やたら回復アイテムを増やす傾向があり、緊張感を削いでいる感はある。

 他にも、ファルコムイースのように、じっとしていると自動回復するというのも、これらの亜種である。
 先ほども書いたように、緊張感を削ぐ仕掛けでもあるため、力押しのプレイで折角の面白みを台無しにする危険性はある。
 また簡単回避アクションと同様に、回復できること前提でバランス調整してしまい、全体の難易度はかえって上昇するということも起こりがちだ。

クリアに関係ないアイテムを用意

 コインとか宝石とか、彫像など各ゲーム特有の収集アイテム、スコアが上がったり集めるとアチーブメントが開いたりするけど、クリアにはほとんど関係しない、というアイテムがある。
 クリアするだけなら必要ないので、わりと難度の高いトラップの先に置いてもプレイヤーに納得してもらえる。
 クリアするだけなら無視していいのだが、取ると自己満足できるし友達にも自慢できるので、なかなかにプレイヤーの挑戦心を煽る仕掛けだ。

 このようにプレイヤーにとっても非常に魅力が高く、制作者としても調整もしやすい要素だが、所謂「やりこみ要素」が過剰となって、やっているというよりやらされている感が出てしまうのが難点。
 更に、クリアに関係ないアイテムを集めているうちに、プレイ意欲が減衰してしまい、クリアへの情熱が燃え尽きてしまうというパターンにも陥りがち。
 また、それらのアイテムを集めない場合のプレイ(本来なら中心のはずの要素)が、スカスカになってしまう危険もある。

ヒントによる調整

 誰もがクリアできるんだけど「自分だけクリアできたんじゃないか」と思わせる難易度が理想だ。
 方法のひとつとしては、沢山ヒントを置いておくというのがある。

 カンが良い人は、ほぼヒントを見つけないうちにクリアできるけど、ヒントを見つけていないのでそれなりの難易度に感じる。
 カンが良くない人は、ウロウロしている間にヒントを幾つも見つけて、それによって難易度が下がってクリアできる。
 ヒントを見つけたという小さな達成感が重なって、これもそれなりの難易度に感じる。

 ただし、ヒントのつもりが誤った導き(ミスリード)となって、邪魔になることもあるので、ヒントを出せばいいというものでもない。
 プレイヤーが悩んでいて助けが欲しいと思った時に、ひょいと差し出されるというタイミングが理想ではある。
 なかなかタイミングを計るのは難しいので、ヒントボタンやヒントを出すキャラをあらかじめ用意するという、あからさまな方法もよく使われる。
 どちらかというと相棒キャラがヒントを出すのが良い。このへん「相棒というシステム」にも書いた。

 攻略本(サイト)やプレイ動画などゲーム外でのヒントについては、項を改めて書きたい。

 このように色々調整が難しいとはいえ…ゲーム中に難易度を選択させるこの方法が、おそらく一番プレイヤーに納得させやすい難易度調整方法だろう。

短い単位でスタートラインを設ける

 ゲームが難しくなる理由の一つとして、プレイヤーの以前の行動が累積して難易度が上がるということがある。
 例えばステージの道中に敵の攻撃を受け、さらに回復アイテムを拾えず、風前の灯のHPでボスと対峙してしまうというのがありがちだ。
 この対策として、そもそものステージを短くする、コンティニューポイントを設定して体力が全回復する、難敵の前には容易に取れる回復アイテムを置く、といった方法がとられる。
 これらの対策があれば、ミスの累積による難易度の上昇は押さえられる。

 下手な人は酷いミスをしても頑張って区切りまで到達すれば仕切り直しされて嬉しく、上手い人はそもそもダメージ受けたりしないので特に気にならないシステムとなる。
 単純に区切りを短くすればヘボプレイヤーの腕の底上げになり、大きなデメリットはないという素晴らしいシステムだ。
 区切りが明解だと、ゲームの止め時を決めやすいというのもいい。

 また制作者としては短い単位でテストできるので、不具合の発見・修正、そしてバランス調整がしやすいという点も大きい。
 初期のゲームでは容量や処理能力の制限からという単位が主流で、その制限が作りやすさや遊びやすさも持っていた。
 そして大容量と高処理能力が使えるようになると、面から縦・横スクロール、さらに縦横無尽で広大なマップ、そして3Dへとスケールアップしていった。
 しかし、長いスパンのゲームはバランス調整が困難であり、プレイヤーも全体を把握できなくなっていった。
 今度はコンピュータではなく人の限界から区切りが細かくつくようになり、結果として初期のゲームのルールに近づいている部分があるのが面白い。

難易度で勝負しない

 難易度調整が必要なのは「困難を克服することでカタルシスを得る」というゲーム作法に則っている場合に限る。
 前回「達成感の魔力」で書いた通り、困難の克服は素晴らしい機能であると同時に、制御が難しい機能でもある。
 難易度調整が大変なのならば、難易度自体をなくしてしまえばいい、という発想も自然だろう。

何かやればとにかく進む

 戦闘して経験値を積んでいけば進行する、これがざっくりとししたRPGの作りだ。
 プレイヤーの技術が高かろうが低かろうが、大枠としては経験値を積めば先へ進める。
 これがRPGがアドベンチャーゲーム(ADV)を絶滅危惧種へと追いやった理由の一つであり、ゲーム全体の能力判定不要化への流れだ。
 技術があろうとなかろうと進みはするが、技術があればより進むという調整と言える。
 とは言え、2013年現在では「レベルを上げれば進めるRPGなどゲームではない」と言われていた、ということの意味を伝えることも困難だったりする。

時々触れば進む

 そうなると次は、戦闘行為が面倒くさいという方向が自然な流れだろう、RPGではファルコム ドラゴンスレイヤー英雄伝説のオート戦闘や、エニックス ドラゴンクエストIVのAIによりプレイヤーが戦闘をする必要がなくなったりした。
 さらに途中の移動とかも面倒となり、ファームビル(FarmVille)とかサンシャイン牧場なめこ栽培なんかの収穫系に至っては、放っておけば作物(=コイン)が入ってくる。
 ただ、種まいて収穫を繰り返せば、とにかく進むという調整だ。
 とは言えコレも、操作スパンが長いリアルタイムシミュレーションという感じで、それなりにプレイヤーが手を入れる必要はある。

 ちなみに、Cinomix アクアゾーン(AQUAZONE)なんかは、水槽シミュレーションという別の方向から出てきたゲームだが、着地点はわりと近い。
 あと、ソーシャルゲームのチャージに時間がかかるというのは課金を促し長くプレイしてもらう仕組みの一つとして採用されているが、これも着地点はわりと近いところにある、というかほとんど親戚関係だ。

放っておけば進む

 更に押し進めて放っておけば進行するゲームとなり、本格的「やらなくていいゲーム」の登場となる。
 プレイヤーの関与によって変化するのは進行するかしないかではなく、進行のスピードや進行方向がちょっと変わるという段階になった。
 Maxis シムアースは、シムシティシムアントに比べると、かなり放っておけば進むレベルに近かったが、ちょっと登場が早すぎた(1990年)感がある。
 2013年の秋に妙に日本で流行ったクッキークリッカーは完全に放っておけば進むタイプ。
 放っておくだけで進むゲームが面白いのかといわれると、少しちょっかい出せるのがいい。
 軽く揶揄的な意味も込めて放置ゲーと呼ばれるが、動植物を育てるのと似た面白さがあり、ゲームの根源的な面白さのひとつかと思う。

選択肢を選べば進む

 一時はRPGの出現で絶滅しそうになったADVだが、チュンソフト 弟切草の登場によって、とにかく選択肢を選べば進むという方向性を打ち出しADVを復権した。
 さらに後続のADVでは選択肢が少なくなり、ゲームクリアまでに選択肢がほとんどないか全くない、という状態にまで達する。

ボタンを押せば進む

 そして行き着く先は、同じボタンを押していれば進行するゲームとなる。
 (特にケータイのゲームは)ポチポチゲーなどと揶揄されるが、それもまた選択の一つである。
 エンターテイメントは技術試験(スキルテスト)による達成感以外でも、様々な方法論があるのだから。

どうやってもいい

 難易度で勝負しない方法は、部分的であればアクションゲームでも使われる。

 アクションゲームは、情報がプレイヤーに一目瞭然なので、一見この手法が不可能に見える
 例えば、ナムコ ゼビウスでは、敵の軌道を自機に向けないことで、スタート直後数秒はどんな操作をしてもミスとなることはない。
 シューティングゲームでは見せ弾などと言われる、絶対に自機に当たらない弾がよく使われる手法といえる。

 この手法は、便利であることは確かだが、どうやってもいいことがバレるとプレイヤーに「手のひらで踊らされている感」を強く持たせ、非常にヤな気持ちになる。
 ま、バレなきゃいいんだが。ゲーム全体でやるとどうしてもバレるので、ゲームの途中に適度にちりばめることになる。

 そこで結論。

万人が納得する難易度は無理だが、難易度の幅は広くできる(それもかなり)