誰でもクリアできるゲーム

誰でもゲームはクリアしたい、じゃあ誰でもクリアできるようにしよう

猫でもクリア

最後まで楽しみたい

 広井王子氏曰く「ゲームは誰もがクリアできなければいけない」そうである。
 なるほど、一般的に言って安いとは言えないお金をはたいて買ったゲームである。最後まで遊ばないと勿体ない。作り手はサービスを提供するものとして、最後まで遊んでもらえるように作る義務がある。
 それでは、誰でもクリアできるようにするにはどうすればいいのか。

誰でもクリアできるには

 誰でもクリアできるようにするには、最低のレベルのプレイヤーを考慮する必要がある。コントローラの持ち方もおぼつかないようなプレイヤーだ。
 そのようなプレイヤーでも進めるようにするには、プレイヤーの介入を極力減らせばいい。極論すれば、何もしなくても最後まで進行するゲームにすることになる。
 それって面白いのか?というより、それってゲームか?

ゲームとは勝負

 ゲームは制作者からプレイヤーへの挑戦という側面を持っている。
「もしかしたらクリアできないかもしれない」という気持ちがあるから、真剣勝負になるのだ。
 必ずクリアできるのなら、クリアしても勝ったのでは無い。それは「勝たせてもらった」のである。
 勝負を楽しむには何が大事かということは、以前「勝つと嬉しい」で語ったのだが、ここでもう一度強調しておく。
「負けることがあるから、勝ったとき嬉しい」のだ。

勝ち負けだけが人生ではないが

 勿論、ゲームには勝ち負けの要素が必須のものでは無い。
 これは「ゲームってなんだ」でも言った通り。だから、勝ち負けを求めないゲームには通用しない議論ではある。
 だが、勝負事は面白い。勝ち負けを求めるのは人間の根本にある性質と言ってもいい。
 少なくとも、制作者が勝ち負けを求めないゲームのつもりで作ったものでも、勝ち負けを求めるプレイヤーはいる。そのような人がいる以上、どんな人でも意識無意識に関わらず、負けることの無いゲームに何がしかの不満がでてしまうものと考えるのが自然であろう。

 そのような不満を吹き飛ばすような仕掛けや、「勝たされている」ことを感じさせない工夫もあるわけだが、これは稿を改めて書きたい。

関連「コンピュータに勝たされる」「ゲームオーバーはなぜ必要か

 そこで結論。

クリアできないかもしれない不安も必要

追記

 2013年現在、ゲームのクリアということ自体の嬉しさの感覚が異なってきているようにも感じる。
 携帯機器を中心としたオンラインゲームの隆盛もあり、そういうゲームは課金させ続ける必要性から、エンディングの概念が希薄もしくは無いゲームが主流化している。
 そういうゲームを主にプレイしてきた層にとって、エンディングを迎えても「で、なんかレアアイテム出ないの?」って感じかもしれない。
 一周回って「エンディングのない無限ループのゲーム」時代に戻った部分もあるわけだ。