コマとはなんだろう

コマは漫画らしさの代表的な物だけど、本当に必要なの?』

機能からコマを見る

 まずコマがどのような機能を持っているか考えてみる。

 ティエリ・グルンステン「マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか」には、以下のような分類がある。
 なかなか面白い内容なので、特にヨーロッパの漫画に興味がある方は読んでほしい。

  • 閉じる機能
  • 分離する機能
  • リズムをもたらす機能
  • 構造化する機能
  • 表現する機能
  • 読ませる機能
  • 飾る機能

 それはそれとして、当サイトでもコマの機能を考えてみる。

含む

 さて、漫画を定義するで「キャラとセリフ」こそが漫画と定義した。
 これをコマ枠で包んで閉じたものがコマである。

 コマの直下に含まれるのはキャラ(+フキダシ)を除くと、コマ枠と背景である。
 コマ枠はコマそのものと言ってもいい。となると本サイトの定義では漫画は「キャラとセリフ」なので、コマにより加えられた物は背景ということになる。

 例えば彫像には通常背景はなく、キャラそれ自体で成立している。そこに枠が加わることで背景が発生する。これが絵でありコマである。
 コマに含まれるものは以下のような構造となる。

分ける

 逆説的だがコマは「何かをもたらした」のではなく「何かをもたらさなかった」ことがより重要といえる。
 現実の風景に含まれる情報は極めて多く、枠(フレーム)により切り取ることをしなければまともに咀嚼できない。
 枠により切り取られることにより風景は意味を持つようになった、と捉えた方がよりコマの本質に近いかと思われる。
 これは絵画の額縁(フレーム)でも同じことが言えるし、映画のフィルムが形作るフレームのもつ非常に重要な役割でもある。

 漫画のワク線(境界線)にはカットの界面であるコマ枠キャラの界面である主線(おもせん)セリフの界面であるフキダシ枠の3つがある。
 これらは全てコマの一種として成立する。コマとは「分離された何か」という抽象的なものであり、その形も中に描かれる(書かれる)ものもこれといった決まりはない。
 分離されたもの=コマというようなぬえ的な性質を持つことが、コマそのものにも固定化されない役割を与えている。

 例えばページの下に直接キャラが描かれるのがぶち抜きだが、ページの下に直接キャラが存在しているとも、見えない(透明)なコマがあると解釈するのも、主線がコマ枠を兼用していると解釈するのも自由だ。
 フキダシについても同様である。

構造化

 別のオブジェクトを含む(◇─)ことができるオブジェクトをコンテナ(container)、コンテナに含まれるものを要素(element)とする。「含む」で書いた通りコマはコンテナの代表的なものだ。
 そしてコマがあることにより、さらに上位の構造が作られるようになった。コマは要素でもある。
漫画の構造学で単純にその構造を描いたが、あらためてここに書く。

順列

 絵画はシークエンス(順番)を持たないが、漫画はコマを持ち並べられることでシークエンス(時間)を獲得している。
 これはコマが構造化されることによってもたらされる機能でもある。

 文字が単語となり行によって並ぶことにより文章なり読めるようになるように、絵がコマとなり段によって並ぶことにより漫画となり読めるようになる。 

 さらに、映画とは異なり漫画のコマは大きさが一定でない。これがなにをもたらすかと言えばリズムである。
 コマの大きい小さいの繰り返し、段がもたらすページの端からの折り返しなどのリズムが、コマを持つことによって発生する。
 ある種音楽的な要素が漫画にはあることが了解されるかと思う。

奥行き

 コマによって、漫画にはコマ同士の奥行きが産まれる。コマは重ねることができるからだ。
 写真を重ねるようなイメージだ。
 これにより、順列をよりスムーズに見せることができる。人は手前から奥へと視線を送る方が自然に感じる。
 先に読ませたいコマ、また注目させたいコマを手前に配置することで、より読者の視線を操作しやすくなる。

 枠を描くことでそれが奥行きの基準となる窓枠のようなイメージを読者にあたえる。
 このコマ枠からはみ出すことにより、絵にも奥行きが産まれる。

 このようにコマは立体感を生み出す仕掛けでもある。

その他

 コマ(とコマ枠)そのものの形や並びがグラフィックデザイン的な面白さを表したり、感情や動きを表現したりする。
 コマを物理的なものと捉えて、キャラがコマに寄りかかったり突き破ったりなんてこともある。
 これらの機能を成立させるためにコマが産まれたというより、コマが成立した上で産まれた機能かと思う。

歴史からコマを見る

 枠は何故発生したのか。
 まず絵がある。絵は瞬間の視覚を2次元に定着させたものだ。しかし絵は物足りない。
 何が物足りないかというと、時間と音がないのだ。

異時同図

 時間を表現するために同じ絵の中に別の時間(の人物)を同時に描く「異時同図」という手法が取られる。
 この方法は確かに別の時間を絵に持ち込んだが、その順番は鑑賞者の常識にかなり依存している。どの絵が先に起きた事柄かは、「歯磨きしているから朝だな」とかそういった判断だ。

位置による時間経過

 壁画・タペストリ・ステンドグラス・壷(柱)絵・絵巻物・掛軸などの長い絵を順に見ていくことによる時間表現がある。
 有名な物としては「バイユーのタピスリー」が挙げられる。
 文章と似た方向性だが、どうしても多くの空間を必要としてしまう、また距離と時間の区別が曖昧になる部分もある。

連作による時間表現

 連作形式による絵画で時間表現をすることもあった。これは壁画を分割したとも、絵画がページ化したとも捉えられる。
 ページというはっきりした区切りを持つことにより、時間的・空間的場面転換が明確になった。

区切り表現

 異時同図に似ているが、絵巻物では例えば「信貴山縁起絵巻」などの中に柱や雲(すやり霞)の区切り毎に別の時間が描かれ、あるいは幾つもの窓の中に別の時間が描かれるということも行なわれた。
 他にも「北斎漫画」はポーズ集に解説を点けたという趣で中にはコマのようなものも見られる。
 前述の壁画は大抵は柱によって区切られており、そこで時間経過が表現されていることも少なくない。

遊び道具に描かれる絵

 カードや双六などの遊びに使われる道具からコマの概念が発生したとも考えられる。
 遊びの道具は、ルールや世界観の理解を促すために絵が描かれ物語はプレイに委ねられるが、表面的にはほぼ漫画の体裁となっている。

コマの成立

 ここまでくると次に考えるのは「別に柱や窓、カードは必要ないのではないか」という発想だ。
 つまり1枚の紙の中に枠で区切った絵を敷き詰めればいいのだ。
 ここに至って(1800年前後)、ほとんど現在の漫画で使われているコマが成立する。

 ジェラール・ブランシャール「劇画の歴史(la bande dessinée)」に西洋漫画におけるコマやフキダシの発生の歴史の詳しい記述があるとのことだが、私は残念ながら未読だ。

まとめ

 漫画は絵であるが、絵と明確に異なるのは、コマなどによる区切りがあるからだ。
 少女漫画では一時期(1980年代)漫画の解体がなされ、ワク線が消滅した表現が多用されたが、2010年現在はまた枠で囲われたベーシックなスタイルが中心となっている。
 一枚の絵だけでは足りない情報を補うために、絵の数を増やし文字を付加したもの。それが漫画であり、そのための手法としてコマが使われた。という捉え方もできるだろう。
 これは正に「シーケンシャルアート」としての漫画の定義だ。

 そこで結論。

絵は区切られ時間を獲得した