文字種とゲームの進化

表示できる文字の種類は、ゲームにどう影響を与えたのか

かなこちゃん、英語は読めてませんか?
使えるからといって、使えばいいというものではない

メッセージ

 以前ゲームと台詞の関係で、メッセージウインドウの変化を追ってみた。
 また、音声を含んだ表現についてはメッセージと音声を参考にしてほしい。

 今回は、ハードウェアの進化による表示できる文字種類の増加と、それによりゲームはどのような影響を受けていたかを、主に日本の家庭用ゲームを中心として考察する。
 文字はまず最初に数字が存在したが、数字のみゲームしかなかった時代は無いといってもいいだろう。
 ゲーム電卓とかあるにはあったが、アルファベット時代と同時期で特に時代は作ってないからだ。
 そこで、アルファベット時代から話を始め、カタカナ、ひらがな、漢字、ルビと考察を進めることとする。

アルファベット

 コンピュータはアメリカ発祥であり、表示される言葉も当然英語であった。
 アルファベットはABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZの26文字しかない上に、漢字は勿論、仮名よりもずっと単純な形である。
 英語圏でもパターン数削減の目的から、初期は小文字は無く大文字のみであったし、日本では現在もアルファベットは文章のための文字ではないので、小文字を必要としない。

 この事により、メモリが少なくてすむ、フォントの作成コストが低い、少ないドットでも表現可能、ユーザが入力する場合も簡単なインタフェースですむ、というメリットが発生する。
 この特性は、初期のコンピュータと相性が良かった、というより能力的に他に選択肢はなかったと言える。

 アルファベットしか表示できなかった頃のゲームが与えた影響は、漢字も仮名も使える現在でも小さくない。
 家庭用ゲームもパソコンも無かったか普及していないころから存在しているアーケードゲームは、INSERT COIN、SCORE、TIME、STAGEとアルファベットが踊っていたし、現在でも多くのゲームがそうである。
 入力の面からも、今でも多くのアーケードゲームのスコアネームはアルファベット(多くは3文字)だ。
 家庭用ゲームでも多くのタイトルの下に出る文字は「PUSH START BUTTON」である。
 そして、HPMPを始め、RPGシミュレーションパラメータの多くはアルファベットで書かれる。

 いまだにゲーム内の単語が、日本向けにもかかわらず英語で書かれるのには、主に3つ理由があると考えられる。

 1つはファーストインパクト効果だ。
 ゲームをはじめて目にした時がアルファベットだったので、アルファベットでないとゲームのような気がしないという理由。アホっぽいがかなり強力な理由だ。
 またHPのようにアルファベットが用語として定着してしまったため、日本語に訳すと意味が伝わらなくなってしまう可能性があるというものも多い。
 おそらくこの先50年位は、この効果が残ってしまうのではないかと思われる。
 ハイテク先進国日本にありながら、感覚はやはり「ハイテク→アメリカ→アルファベット」なのである。
 いわんやハイテクの代名詞コンピュータゲームをや。
 面白い事に米国では逆に「ハイテク→日本→カタカナ」の感覚があるようで、映画マトリックスでは緑のカタカナ(しかも縦書き)が流れるシーンが印象的だ。

 もう1つは、デザイン上の問題。
 雰囲気作りその他の理由で、そのゲーム専用のフォントが必要となった時に、文字数が少なく形が単純なアルファベットは、フォントデザインそのものは勿論、レイアウトデザイン上も非常に使いやすい。
 日本語の中では単純なカタカナでもアルファベットに比べると大きくなりがちで、情報密度を高めたい場合に不利。

 最後の理由は、海外版制作の手間。
 アルファベットにしておけば、文字については海外版と日本版の2つを作る必要が無いこと。
 表示はもちろん、入力インタフェース設計が格段に楽になる。

 ただ色々メリットはあるとは言え、メニューはいい加減にアルファベットで書くのは止めた方が良い。ユーザー側にメリットがない。
 日本向けの商品で、OPTIONとかCONFIGURATIONとか、CONTINUEって書かれてもねぇ。
 ゲームが遊べるなら英語などものともしない人は少なく、読めない言葉を不快に感じる人の方が多い筈だ。意味無く購入層を狭める必要は無いだろう。
 といって、全てのゲームがテンゲン翻訳されても困るが。

※テンゲンは、「コインいっこいれる」等の超訳で有名だ。「タフすぎてソンはない」ぞ、みんな!

カタカナ

 日本のコンピュータは、アルファベットの次にカタカナが表示できるようになった。
 アルファベットよりも数も多く複雑な形をしているとは言え、ひらがなよりも単純だし、漢字に比べると数も圧倒的に少なくてすむ。
 これで、とにもかくにも最低限の日本語が表現できるようになった。ここで生まれたのが、濁点が1文字となっている所謂半角カナである。
 大きさは濁点を別にしてアルファベットと同程度ですむが、「ァィゥェォャュョッ」のような促音は小さすぎて判別できず、流れで読むしかない。
 実用上は4x5ドット程度は欲しいところだ。
 数にしても、文字を並べてみると確かにアルファベットよりは多いが、極端に多いというほどではない。

ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
ァィゥェォャュョッーアイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニヌネノハヒフヘホマミムメモヤユヨラリルレロワヲン゙゚

 日本語という表現を手に入れる事で、日本においてもマイクロキャビンミステリーハウス等のアドベンチャーゲームが先鞭となり、物語性の強いゲームが発生した。

 では、カタカナのみで文章を書く場合の、当時ぶつかった問題点と解消法、その他を検証してみよう。

 まず、カタカナだけでは、単語の区切りが分かりにくくなる。

カベニハエガカカッテイテツクエニハカビンガアリハナガサシテアル

 そこで「分かち書き」という方法が取られた。
 分かち書きの方法はひとつではないが、単語+接尾語をひとまとまりとして空白を挿入するというのが、良くあるパターンだ。

カベニハ エガ カカッテイテ ツクエニハ カビンガアリ ハナガ サシテアル

 英語がアルファベットを分かち書きで書くため、それを踏襲したとも言えるが、分かち書きをしないカタカナのみの文章は読むに耐えないので、分かち書きは必然でもあった。
 また、初期アドベンチャーゲームは、「動詞+名詞」をキーボードから入力し、空白で区切ったので、そこからの流れとも見ることもできる。

コマンド>タタク カベ

 カタカナだけで書かれた文章は読みにくいが、半角カナは濁点や半濁点が1文字分のスペースを取ってしまうので、よけいに読みづらい。
 これが濁音が1文字になると、ずいぶん読みやすくなる。会話文の日本語表現は、これでほとんど十分と言える位だ。
 ただ、半角カナと違い、濁音と半濁音も用意しなければいけないので、フォント作りや文字コードの割当、それに入力の面から、少々面倒な事になる。

カベニハ エガ カカッテイテ ツクエニハ カビンガアリ ハナガ サシテアル

 家庭用ゲーム機での日本語は、濁点が横に並ばずに上に付く半角カナ、という状態から出発しているので、濁点で間延びするという事はなかった(横に並ぶ方式が使われなかったわけではないが、少数と言える)
 また、アルファベット+カタカナの後に、アルファベット+ひらがなも使われたが、ほどなくアルファベット+ひらがな+カタカナの文章が書かれるようになる。
 パソコンでは、この後のひらがな時代はほとんどなく、一足飛びに漢字も使えるようになる。

ひらがな

 次に現れるのは、ひらがなである。この文字はアルファベットやカタカナに比べると複雑だが、家庭用ゲーム機の多くは、ハードウェアの制約から文字の最小単位が8x8ドットとなるので、かなり余裕を持って描ける。
 ちなみに、8x8より少ないドットで描かれた文字は携帯用ゲーム機で確認できる。
 例えばセガのドリームキャスト用ビジュアルメモリは、画面全体が48x32ドットであるので、1文字8x8ドットだと6x4文字しか入らない。

 ファミコンではテレビにRF出力する都合上ドットがぼやけるので、結局8x8よりドット数の少ない文字では読めない、という問題もある。
 テレビが悪いと、それでも読めなかったりするが、幸いビデオデッキの普及もありテレビはAV(ビデオ)入力装備が標準となった。
 ゲーム機も自然その流れで、マスターシステムやPCエンジンはAV出力を標準装備するようになる。

 その後、2005年現在までRGBやS端子、VGAは主流とはならず、AV出力の天下が続いている。
 2013年現在ではHDMIが主流となりつつあるが、AV入力はまだまだ現役だ。
 2019年現在、ゲーム機からテレビへの出力はHDMIに統一されている。
 HDMIは高解像度でくっきりした映像が出力可能なため、多くのゲームでは文字は画面に対して小さくなり、画面サイズの小さなディスプレイでは文字が読めないという問題が発生している。

 それはそれとして、このファミコン初期(=ひらがな時代初期)に重大な事件が起きる。エニックスポートピア連続殺人事件(以下ポートピア)が発売されたのである。
 それまでファミコンを含めた家庭用ゲーム機は、アクションゲーム専用の機体と言ってよかった。
 そしてアクションゲームは、アルファベットの単語のみでも成立するゲームである。
 つまり、このアドベンチャーゲームの発売は「テレビで文章を読むという行為が発生した」と言い換えても良いわけである。
 これを日本ゲーム史上、いやもうテレビ史上、ひいてはメディア文化史上、極めて重大と言わずして何と言おう。

 ポートピアは、ひらがなを中心とした、ひらがなカタカナ混在文が使われている。
 発売時期はファミコン初期であり、漢字が使われるのが当たり前になるのはスーパーファミコンを待たねばならない、つまりファミコン時代=ひらがな表示時代でもあった(漢字を使っているソフトも一部ある)。
 そしてファミコン時代を通じて、ポートピアを作った堀井雄二という日本語の天才が、エニックスドラゴンクエストというRPGシリーズを作り続け、売れ続けてくれた事は、ゲームで使われる日本語の底上げに大いに貢献したと言えるだろう。
 堀井雄二がいなければ、日本の家庭用ゲームは海外と同じような経緯を辿り、今でもアクションゲームが主流であったろうと想像できる。

 さて、ひらがなとカタカナの混在文が使える事により、区切りが分かりやすくなり、文章のメリハリも良くなった。
 次の文章は、名詞をカタカナで書く事で、区切りを分かりやすくしてあるが、特にカタカナを使う単語にはゲームだからといった法則はない。

カベには エが かかっていて ツクエには カビンがあり ハナが さしてある

 ここで注目したいのは、この表現方法が極めて話し言葉的であるということ。
 まず、1文字が1発声に対応しているので、1文字ずつ順番に表示していくと、話しているのと同様な時間経過を表現できる。
 次に、仮名は表音文字であるので、文字を見ても意味が分からない場合がある。例えば「しんぎ」と書かれると何の意味か分からない。真偽かもしれないし、審議かも信義かもしれない、はたまた真義か。
 つまり、仮名文字の文章は、話し言葉と同じような表現を使わざるをえなくなる。
 逆に言えば、仮名文字の文章は会話表現と親和性が高いと言え、更に言えば、ほとんどの文章がキャラクタの台詞であるゲームとの親和性も高い。

 ちなみに、初期のファミコンではカートリッジのROM容量が小さいため、カタカナの全てのデータを持つのすら容量の問題で難しかったので、使用頻度の少ない文字は使わないことにして、最初からROMに入っていない。
 良く知られているのは、エニックスポートピア連続殺人事件ドラゴンクエストのカタカナは「イカキコシスタトホマミムメラルレロン」だけしかなく、ヘとリはひらがなと共通という節約っぷりだ。
 驚くべきことに、ゲーム内の台詞ではドラゴンクエストが出力できないのだ、クとエが無いから!!
 ダースドラゴンはダースベーダーから取ってるかと思ったら、ダークにするつもりがクが無かったからなのだ。

分かち書き

 分かち書きは2005年現在でも、コンピュータゲームの世界では広く使われている。ここで、その意味を考えてみよう。

 対象プレイヤーに子供を含めるならば、漢字を多用するわけにはいかない。となると、絵本と同じように分かち書きをするしかない。
 また、アイテムやモンスターの名前のように文の一部が入れ替わる場合は、分かち書きが都合が良い。分かち書きでない場合、入れ替えの前に必ず点を打つと、点が多すぎてうるさい文章になる、と言って点を入れておかないと、入れ替わる名前によっては読みにくくなってしまう。分かち書きならそもそも空白が頻繁に入るので入れ替えに強く、極めてゲーム向きである。

 点で区切ると、見た目にうるさく、流れも悪い。

たばこは、じんぐうじに、どくを、あびせた。

 と言って点が無いと、極端に読みにくい。
 カタカナと数字とアルファベット、それに漢字は区切りとなるが、文字の入れ替えが前提の場合では、それらの区切り効果を期待できないこともある。

たばこはじんぐうじにどくをあびせた。

 空白ならば丁度いい。特に速く流れる戦闘メッセージ等では、固まりとして認識しやすく、視認性が高い。

たばこは じんぐうじに どくを あびせた。

 さらに、家庭用ゲームの場合は画面に対して文字が大きく改行頻度が高いため、意味の区切りは点ではなく改行で行える。
 そういう事もあり、ゲームでの点は意味の区切りではなく、会話のテンポを整える必要の上から使われる事も多い。
 点の方が、空白よりも時間的に長い感じが出て、一拍置いた、という表現となる。

さて、いっぷく するか。

 分かち書きの効果は高く、フォントや文の工夫次第では、たとえカタカナのみであっても、かなり読みやすくなる。
 むしろ漢字が無い分読みやすい、とさえ言える。
 話し言葉である事と改行頻度が高いことから、漫画の台詞もゲームの台詞と近しく、基本的に分かち書きで書くべきであるし、実際に分かち書きの漫画は多い。
 そう考えると、ゲームだけにとどまらず「分かち書き」は、日本語の文章の書き方の根本に変化を与えるインパクトを内包していると言えるだろう。

 ちなみに、任天堂MOTHER2を作った糸井重里氏は、スーパーファミコンであるのに台詞は耳からの言葉だからあえて漢字は使わない、と言っている。
 台詞という面では、漢字導入以前に、ゲームの日本語表現は完成した、とも言えるのだ。

 そういう意味じゃ、ケータイに移植されたポートピアは漢字使いまくりで、阿藤快ならずとも「なんだかなー」だ。

漢字

 台詞表現の完成とは別に、更にゲーム用のハードは進化し、家庭用でも容易に漢字が使えるようになる。

 子供も読めなければいけない、フォントを起こすのが大変、容量的に無理、複雑な漢字は潰れて読めない、等の複合的な原因により、一般の印刷物ほどの漢字量とはならない。
 そこで、漢字は仮名と同程度の数(100程度)を用意しておけば、意外に違和感のない文章が書ける。

かべには えがかかっていて 机には花ビンがあり 花がさしてある

 しかし、上の例でも分かるように漢字は1文字=1発音とは限らず、同じ漢字でも「花」は「か」と読んだり「はな」と読んだりする。
 順番に文字を表示する場合、話し言葉と読み言葉のテンポの齟齬が生まれる危険がある。
 そこで、1文字を同じテンポで表示するのではなく、音声に合わせて表示のテンポを調節しているゲームもある。
 漢字を使うというのは、単純に進化のように思われるかもしれないが、特にゲームでは、なかなかに面倒なものである。

 今や、フォントは既にあるもの(他社が開発したものを含む)を使う事も多く、フォント起こしの労力はないし、メモリの問題も少ないので、ほとんどのゲームが、漢字仮名まじりの文章を使っている。

 だが困った事に、フォントを自前で起こさないため、雰囲気と合わない書体を使ってしまうゲームが増える傾向にある。

 また、漢字が使える事が嬉しいのか、頭が良さそうに見せたいのか、無駄に漢字を使って難解な表現をしているゲームも増えている。
 できるものはやってしまうのが、人間の悪いところである。

壁には絵が掛かって居て、机には花瓶が有り、花が挿して有る。

 漢字にすりゃ良いってもんじゃない。と、漢字を使いがちな私でも思う。
 自動車があっても近くに行くのには使わない、冷蔵庫があっても食料を詰め込まない、それが理性のある人間の行動である。
 使わないと損なんじゃない、使い過ぎは損なんだ!

 他にもありがちな失敗としては、やけに難解な言い回しを、子供のキャラクタが使ったりするのを見かける。
「こんな搾取を見ると、義憤に駆られずにはいられないぜ!!」とか…。語尾を「ぜ!」にしたら、やんちゃ坊主の台詞になるんかよ!

 メッセージを仮名漢字変換で打ち込んでいるものだから、誤変換も増えているのも問題だ。
 次の文章を見て、冗談かと思う読者も多いとだろうが、ゲームという商品では珍しくもなかったりするのが現状だ。

壁には絵が架かっていて、机には過敏があり、花が指してある。

 漢字知らないなら、ひらがなで書けよ!!金田一さん、日本語教育は崩壊していますよ!!!

 そして、漢字入力という面では、家庭用ゲームではいまだにコード表から選択するようなインタフェースが主流である。
 双方向メディアの代表であるゲームという立場から考えれば、まだゲームでは「漢字は使えてない」と断じても言い過ぎではあるまい。

 結局、漢字が使えるようになって、ゲームの質は低下したんではなかろうか。
 とほほほほ。

ルビ

 さらに解像度が上がり、漢字にルビを振ることもできるようになったが、2013年現在はHDMI出力であってもルビを頻繁に振ると読みづらい。
 Nintendo DSなどのタッチパネルが使えるゲーム機だと、タッチした時に漢字にルビがつく、なんてシステムもある。
 寡聞にしてルビを上手く使ったゲームを知らないのだが、国際展開を考えると、なかなかルビをゲームのルールに取り込むのも難しそうではある。

 そこで結論。

文字であっても、ハードの進化はゲームの進化に直結しない