Dの食卓

対応機種・周辺機器
サターン
ジャンル
インタラクティブシネマ
著作・制作
(c)アクレイムジャパン / ワープ 1995

基本情報

「Dの食卓」は1995に発売された3DO用のソフトで、サターン版はその移植。
 当時はちょっとしたゲームクリエイターブームで、その中心的人物でもあった飯野賢治作品でもある。
 ざっくり言って、それまでの1枚絵中心のアドベンチャーゲームの絵と絵の間をムービーでつないだゲーム。

操作性

 移動がムービーの表示で行われる為、床にレールが敷かれており、主人公のローラはその上しか動けないという雰囲気。不自由感が半端ない。
 しかもこの移動ムービーが一定のスピードでしか動かないのだ。
 その上、セーブ機能がないため、毎回最初からプレイする必要があるのに、ひたすら移動シーンのムービーを見ることになってしまう。
 イベントシーンについても同様にスキップできない。特に後半の塔にあるハンドルなどはやたらぐるぐる回す必要があるため、飽きること甚だしい。

 最初からプレイしなくてはいけないこと自体は特に悪い仕様ではない。特にアクションゲームでは当たり前の仕様で、プレイするたびに新しいプレイ方法を模索すること自体が楽しみでもある。
 しかし、ムービーではプレイの工夫のしようがなく、ただただつまらないだけ。
「Dの食卓」もショートカットを工夫できるような作りで、ゲーム的な工夫はあるが、ムービーのおかげで台無しだ。

ストーリー

 一般的な解釈としてはホラーではあるが、父親の精神世界にサイコダイブしセラピーを行うゲーム、という捉え方もできる。

 もはやネタバレを心配するような時代のゲームでもないので言ってしまうが、吸血鬼(バンパイア)のことをドラキュラと言っちゃうのは、この時期にしてもチープだ。
 菊地秀之の小説「吸血鬼ハンター"D"」が出版されて大ヒットし、ドラキュラは人の名前であって種族ではないというの常識となったのが1983であるから、「怪物くん」のようなギャグならまだしも、シリアスな作品では流石にまずいだろう。

 そこに限らず、展開に唐突感が強かったりと荒っぽいところが多く、精神世界の話とはいえチープな印象は拭えない。

グラフィック

 3Dのコンピュータグラフィックによってレンダリングされたムービーによって、移動シーンやイベントシーンが作られている。
 そのため、(当時としては)かなり映画に近い印象の画面作りに成功している。ムービーの制作はアミーガ(当時としてはグラフィックに強いマニアックなパソコン)で行われたというのが懐かしい。
 渋めの色調で統一された暗めの画面であるため、粗が目立ないようになっているとも言える。主人公のローラからしてグレーのスーツと言う地味さである。

 サターン版は動画の圧縮形式にトゥルーモーションを採用していて、(サターンとしては)かなりクオリティが高い。
 圧縮時に使われるタイルパターンがいい感じのテクスチャとなっており、静止画の部分よりもむしろ動画の部分がよく見えるぐらいだ。

システム

 インタラクティブシネマと銘打っているが、要するにアドベンチャーゲームで、基本的な作りはCyan「MYST」1993(サターン版は1994)のようなノリ。
 画面に表示される装置(パズル)を動かして先に進むといったもの。最近だと脱出ゲームのような感じと言えば、分かりやすいかと思う。
「MYST」や多くの脱出ゲームとは違い、画面クリック型ではなく、基本的に1画面に付き操作可能な箇所は1カ所で、割と大雑把な感触がある。

 ボリューム的にも「Dの食卓」は一般的な脱出ゲーム程度と言える。何せ2時間という実時間でのクリア制限があるのだから、ボリュームは想像つくだろう。
 この2時間というのは明らかに映画の上映時間を意識したもので、セーブ機能がなくても2時間ならば映画を見る為に時間を取ることができるわけだから、プレイに問題ないだろうという目算があったかと思う。
 しかし、ゲーム1回のプレイとしては2時間は長過ぎる。高橋名人の「ゲームは一日一時間」を守ろうと思ったら、2日に一度23時からプレイを開始するしかない。

 一カ所だけ、レーザーディスクゲーム(あるいはQTE)的な、ムービー中に表示される方向にタイミング良くレバーを入れることで進むイベントがある。
 個人的にはこのシステムは大好きなので、そちらをメインに作って欲しかった位だ。

 その他も、移動とアイテム使用以外の操作は、ほとんどがその場限りの操作なので、作り込みの善し悪しにばらつきがあり、操作の統一感を損なっている。
 良く言えばバラエティがあるということでもあるのだが、そもそもの量が少なすぎて、さほど厚みがあるようには思えなかった。
 印象としてのボリュームは「MYST」の1/5という感じだ。

まとめ

 この作品が、プリレンダのムービーにより未来のゲームの雰囲気を先取りし、多くの制作者やプレイヤーに衝撃を与えたのは間違いない。
 しかしムービーを繋ぎあわせるゲームの限界もハッキリと示した。
 なにせボリュームは2時間なのにCD2枚組(3DOやプレイステーション版は3枚組)なのだから、そのコストパフォーマンスの悪さはムービー制作にかかる労力も含めて、とてもじゃないがやってられない。
 そして、実際のゲームとしての面白みの部分はムービーを除いた部分にしかないのだから、その薄味っぷりは推して知るべし。

 そこで結論。

「デモンストレーションとしての意味はあった」


2011-11-24