お久しぶりです。
最近、SF小説と以前話題になったライトノベルといわれる類いの小説を読んでます。
ライトノベルでもさほど読書スピードは上がらず。とほほ。せめて2時間ぐらいで読めないもんか。
「ダウンビロウステーション上」(Amazon | bk1)
「ダウンビロウステーション下」(Amazon | bk1) 読了。
書かれたのは1981年、「ウィザードリィ」の生まれた年ですよ。…と思うと、割と最近な気がしてくるな、完全にコンピュータ時代じゃない。
そして、1982年のヒューゴー賞受賞作。
お話はアジモフの「銀河帝国興亡史」に代表される宇宙未来史もの。
特に深い説明もなく所謂ワープ航法が使われていたりするわりに(疑似)重力発生はシリンダーの回転だったり、記憶の植え付けはテープだったりして、技術のちぐはぐさを感じた。
でも、本書はそのへんのSF的ガジェットが、当たり前に出そろっている時代に書かれているので、重力発生にシリンダーをまわしているのも「物語的必要性」からのものと考えてよさそう。
時系列は素直だし、訳が読みにくいわけでもないけど、やたらと時間がかかった。
登場人物の行動が、私の感覚と会わない人が多くて、直前のページを読み返すことが多かったこともある。でもまぁ、それは海外の小説を読むときには必ず当てはまることでもあるし。
単純に、登場人物や場面が多いのについていけてないだけな気もする。なにしろ場面転換が多い。
出てくる異星人は、多分小さめの「チューバッカ」みたいな感じの一種類、これも物語的必然性からの登場、といった趣。
この手のSFには珍しく、ロボットは出てこない。
基本的に、ひたすら人間中心で話は進む。SFである必要性を感じない位に物語中心だ。
面白かったかといわれると、あんまり面白くなかった。どーも話を理解できてない。最近、だんだんアホになっている気がする。
単純に、これといったお気に入りキャラが見つからなかったのが理由かも。
上巻の口絵に、ステーションと宇宙船の図解があるのが、宇宙少年心をくすぐるんだけど、あんまり本編とのリンク度は高くないように感じた。
2006-12-23「ゲイトウェイへの旅」(bk1)読了。
ゲイトウェイとは、異星人ヒーチーが残していった宇宙船の発着のための小惑星。
宇宙船の操縦方法はほとんど何も分からないが、宇宙船は自動操縦なので、発進の操作さえしてしまえば設定されているところまで飛んでいく。
で、このどこへ行くんだか分からない冒険の旅の果てに、何か人類の役に立つものを発見できれば、一攫千金大金持ち、というわけ。
そんな大航海時代の船乗りのような、魅力的な設定を持つゲイトウェイシリーズの5つめが本書。
だけど、それまでのエピソードとの連続性はなく、外伝もしくは副読本と言った雰囲気。
ゲイトウェイの歴史、といった感じの本。前半は金星のヒーチー遺跡発掘のエピソード。
後半はゲイトウェイの調査員たちのエピソードを羅列的に紹介。その中で本編に出てきたエピソードも紹介されていて、ちょいとにやりとし、それがゲイトウェイ宇宙史の中で、どんな役割や位置を占める出来事だったか分かる。
エピソードは歴史事実の紹介という感じで進む。キャラクタ同士の会話等も全くなく、淡々としたもので、RPGの背景設定集を読んでいるような感じだった。
4までの主人公のロビン・ブロードヘッドは、実にうじうじした冒険譚に似つかわしくない人物なので、ゲイトウェイの設定から思い浮かぶ本の内容としては、本書の書き方は正しいと思えたし、エピソードの掘り下げはないもののバラエティ十分なので、なかなか面白い。
とはいえ本書が、最初の「ゲイトウェイ」として発表されていたとしたら、全く名作とは呼ばれなかったろうし、本編を読まずに本書を読んで面白いかといわれると、おそらくさほど面白くないだろう。
副読本として十分の内容だし、副読本を超えたものでもない、というところか。「ゲイトウェイ4」まで読んだのだったら、ついでに読んでおけ、という感じ。
「銀河市民」(Amazon | bk1)読了。
猫好きでジンジャーエールが好きで「文化女中器」好きの私は、当然「夏への扉」が好きなわけで、パワードスーツが好きな私は、ほとんどパワードスーツが出るという理由だけで「宇宙の戦士」が好きという、いい加減なハインライン読者だったりする。
でまぁ、そんな私が「銀河市民」を読んでいないのは、なんでかというと、どうも表紙がもう一つ気に入らなかったという、なんだかな理由だったりする。
以前の表紙は、加藤雅樹(唯登詩樹)のイラストだったが、なんというか妙に明るくて、薄っぺらい印象だった。
で、2005年に新・新装版が出てて、イラストレーターが変わった。これがかっこ良かったので読むことにした。というまことミーハーな動機だったりする。
イラストレーターは前嶋重機。浅学にして、どういう人かよく知らないんだけど、絵柄の系統としては結城信輝系かな。多分、以前作られていたサイトを見たことがあると思う。すげーSFテイスト全開で、カッコ良かった記憶がある。残念ながら、現在は公開されていないようだ。
原作がジュブナイルであったこともあるし、会話が多いこともあるだろうが、訳者の野田さんの文体は非常に読みやすく、ガーッと読んでしまった。
奴隷であった主人公がたどる宇宙規模の流転は、読者を飽きさせない。
主人公の次々と変わる立場で、広大な銀河の社会が多角的に切り取られて、薄っぺらでない実に立体的な世界を形作っている。TRPGの「トラベラー」がこの作品に強く影響を受けたとかいう話を聞いたような。
登場するキャラクタは、ヒロイン以外も魅力的で、主人公を冒頭で買う老乞食のバスリム、シャウム婆さん、そして複数登場するヒロインも(表紙のイメージもあってか)非常にかわいく知的な印象で、ちょっとしたロマンス部分も楽しめる
特別のSF的なアイディアを中心とした話ではないんだけど、私がSFと言われて思いつくもののど真ん中に近い物語。ハインラインの説明で出すのが適切かどうかは微妙だが、松本零士のようなと言えばいいのか。
スペオペ好きの野田さんの好き好き光線が訳文からあふれている感じがした。それにスペースオペラと言っちゃえない重いテーマや、SF的描写もあり、ますます野田さんが好きそうだ。
本編にも訳文にも古くささが無く、原作が1957年に書かれたものとは思えない。
ただ、2005年版の欠点は、訳者の野田昌宏サンのあとがきが無いことなんだなァ。
ともかく、老若男女に自信を持ってオススメできる名作です。ああ面白かった。
2006-12-25
「人形つかい」(Amazon | bk1)読了。
人を乗っ取って自在に操る謎の侵略者に、主人公は美人捜査官メアリと立ち向かっていく。
つまりアレですよ、「人形つかい」は「Xファイル」の元ネタな訳だな、そうに違いない。
表紙は「銀河市民」と同じく、表紙は前嶋重機。これもまた、サイバーパンク的雰囲気でかっこいい。
特に赤毛のメアリは、読んでいる間、完璧に表紙の絵のままで頭の中で動いていた。
ちなみに「人形つかい」というタイトルから、つい「攻殻機動隊」を想像してしまい、上司の「おやじ」のビジュアルイメージは士郎正宗で読んだ、幸い役柄にぴったりだった。
確か、以前の表紙は加藤直之だったと思う。それはそれでいいかもしれないけど、今の表紙はなかなかいいね。ライトノベルファンが、ふらふらと手に取ってしまいそうでいい。
これはライトノベルに日和ったというより、そもそも表紙イラストで本を売っていく路線を作ったのは、ハヤカワSFだったわけだし、本家の面目躍如的なところだろう。ただまぁ…それで本書が売れているわけでもないみたいだし、旧来のファンからの評判もどーなんだろ。
でも、私は賛成です。特にこういうSF全盛期な作品は、漫画的イメージがよく合う。
そういや、前に出た本でも「デューン」は石森章太郎だったし、「ノースウエストスミス」は松本零士だったから、別に今度のリニューアルが変なわけでもないわなぁ。
内容は、恐怖を書いたものではあるけれども、その対策から、なんだかコメディ的な絵面や描写が増えてくる。
基本がハードボイルド路線なんで、気にせずシリアスに読むこともできそうではあるけど、ギャップについ笑っちゃうところがある。ハインラインも割と意識して、笑いも混ぜてるようだけど。
さて、本書の一番の読みどころは、現在が2006年で、本書の設定年が2007年だということだ。
第二次大戦終戦からほどない時期に書かれた本書に出てくるガジェットが、どれほど予想と外れているか、あるいは恐ろしいほどの的中を見せているか、そのへんが思いのほか楽しめる。
もちろん、侵略ものの古典的名作として素直に読んでもいい。
訳はSF界の重鎮、福島正実。安心して読める。
2006-12-27
「宇宙船ガリレオ号」(Amazon | bk1)読了。
科学少年3人が集まって、月へ行くロケットを作ってやろうという話。スタンドバイミーのものすごい遠くへ版、と言えなくもない。
実際、そういうロケットを作って宇宙へ行こうとチャレンジをしている民間団体や個人が沢山いたりするのが、現在のアメリカだ。
作中でもフロンティアスピリッツを強調する場面があって、アメリカ独特のものを感じる。自由と独立を強調するハインライン節と、作品内容がピッタリ合っている。
推力に核を使っているのだが、なんというか大らか。時代的なものもあるだろうけど、やはり基本的に「原子力で成功した」国だからだろうなぁ。
日本も、昔は原子力エンジンのもの多かったけどね。鉄腕アトムをはじめとして。
危険だとは書いてあるけど、ロケット吹かして町の上をくるりと回ってきたりするから、その危険度合いの過小評価ぶりは、もうなんとゆーか。
そのへんは差し引くとして、ヴェルヌやウェルズの月旅行ものと比べると、圧倒的な科学考証の確かさはある(ヴェルヌやウェルズがアホなのではなく、時代が違う)
原子力を利用するアイディアも、最小の質量で最大の推力を得るための当時としては一番の考えだったろうし、今だって実はそうだ。
いろいろ突っ込もうと思えば突っ込めるけど、しょせん後知恵。ロケットと言ったらV2みたいな時代(だと思う)、こんなに見事に様々な部分の考証を行うんだから、恐るべしハインライン。天文や物理の考証だけでなく、様々な契約関係のことが出てくるのが、仕事を転々とした経歴を持つハインラインらしい。
ヴェルヌもウェルズも地球を離れて月へ向かう部分の描写に、一番心引かれた記憶がある。月についてからは、全然覚えてない。どちらも月面人とかがいたような気がする。今となっては荒唐無稽すぎる。
昔から月と地球の間には何もないことが分かっているから、描写が比較的正確だし、まさに月へ向かっているのだ、という興奮がそこにはある。
月には何も無くてもいいんだよ。
ふと、思い出したが。たしかローダンって人類初の月着陸船のキャプテンじゃなかったっけ。そのシリーズがまだ続いているってのがすごいよな。
2006-12-28レイ、といえばレイ・チャールズでもなく、レイ・パーカー・ジュニアでもなく、レイ・ブラッドベリなのは世の常識だが、私は「火星年代記」以外は、ほとんど読んでいない常識知らずの人間だ。
本書は短編集で、ロケットや恐竜にことのほか思い入れのある作者らしい、叙情的な作品が多く収まっている。
その中でも「宇宙船」という一編が、非常に心にくるものがある。どうも私は、ロケットと家族、という取り合わせがことのほか好きらしい。この短編集の中には、同じ取り合わせがいくつも入っている。
そう言えば「火星年代記」も、最初の章は「ロケットの夏」というタイトルだった。印象的なタイトルだけあって、SF好きの作家がよく引用している。そして「火星年代記」にも、いくつかの家族が出てくるし、私の好きな作品だ。
ブラッドベリの小説の背景イメージは、かなり似ているものが多い気がする。
素朴でよく働き、家族を大事にする父。母親がオーブンで焼いた自慢のパイを、芝生の庭で初夏の日差しを浴びながら食べている男の子は、午後からの友達との冒険に気もそぞろ。
そして、ロケット。きらきらと光る流線型の船体を力強く持ち上げる、船尾の太陽のような眩しい光と大量の煙。緑の丘の上を、そのロケットが青空に向かって突き進んでいく。
ロケットを見上げる人々が佇む町並みは、木造の開拓時代の名残のある古き良きアメリカ。そこが火星であっても、どこであっても。
そんな、素朴な味わいのあるSFがブラッドベリなのかもしんない。
もちろん本書には、そういうロケットと家族以外の物語も納められている。
例えば「霜と炎」という一編は、八日で一生を終える短命の種族の話だ。同じく短命の種族を描いた星野宣之の漫画を思い出した。このブラッドベリの中編小説から発想を得たのかなぁ…。
家族とロケットではないブラッドベリのイメージは、星野宣之に受け継がれてるような気がする。やたらタールトラップが出てくるし、恐竜はよく出るし。
両作家の共通のファンってのは多そう。
この短編集、1962年にアメリカで出版されている。今回読んだ東京創元社の版は1968年初版で、1999年で43版を数えている。なんだこの版数は!2007年だと50版まで行ってそうだな。
そんな長い間愛され続けているブラッドベリの珠玉の短編、完全に古さを通り越しているし、音が聞こえ香りが漂ってくるような文は、もはやSFというよりおとぎ話に近いテイストだ。SF好きはもちろん、SFに興味がない人にも勧めやすい短編集といえるだろう。
うお、一時間かけて書いていた、今年を振り返る文章が、消えてしまった。
そんな、ぐだぐだな年末の鳶嶋工房ですが、来年もよろしゅうに。
覚えていることをざっと書くと。
鳶嶋工房は、テスクティオ(インタラクティブフィクション)の年だった。
ゲーム界は、重厚長大から軽薄短小への転換の年だった。
軽薄短小の波は、Web2.0って皮をまとって、パソコンにも進出しつつある。Web2.0はすごいWebアプリケーションではなく、余計なもののないデスクトップアプリケーションなのだ、と。
何でもできる、沢山できる、そんなのいらない。やりたいことができる、事が大事。
1998年に書いた「欲しい機能と必要な機能」や2002年に書いた「早く終われ!」に、やっと世間の感覚が追いついてきた、というと偉そうか。
正確に言うと、世間の感覚が追いついたのではなく、世間である私の感覚にメーカーの感覚が追いついてきたというべきで、特に私が先見の明があったわけではない。