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スーパーファミコンで、渋い人気を誇ったワンダープロジェクトJの最新作が、NINTENDO64の高性能ハードでお目見えした。
滑らかなアニメーションと、さらに複雑な反応をする疑似人格システム。
プレイヤーがコミュニケーションを取る「ギジン」も女の子になって、色々とパワーアップ。
コミュニケーションアドベンチャーというのは、聞きなれないジャンルだが、事実上このシリーズがワンアンドオンリーであるので、無理もないことだろう。
画面はサイドビューで止め絵の背景にキャラクターが動き回り、そのキャラクターにバードというコミュニケーションキャラクターを使って指示を出し、いろいろと遊ぶことができるようになっいる。
昔アップルIIでリトルコンピューターピープル(以後LCP)というソフトが発売されていた(スクウェアが女の子バージョンをアップルタウン物語というタイトルでファミコンに移植していた)
LCPはドールハウスのような小さな家にすむ「冴えないおっさん」をじーっと観察したり、ちょっとしたちょっかいを出して反応を見たりするという、じつに何と言っていいものやら、一言では言い表せないゲーム(といっていいかどうかすら怪しい)であった。
他に近いものをさがすとプレイステーションの頑張れ森川君2号あたりか。
このゲームは、おおよそLCPを祖先に持つゲームと思っていいと思うが、よりキャラクター性ストーリー性を強く押し出している。
実際に遊ぶと、相当に積極的にちょっかいを出すことができる(出さなければいけない)ようになっていて、放っておくと勝手に何かやるということは殆ど無い。
ここら辺がLCPとは決定的に違うところで、アメリカと日本の文化の違いではないかと思われる。
これは、別の言い方をすると、日本ではある程度ゲームであることを要求されるが、アメリカではまったくゲームになっていなくても容認される、という違いである。
ゲームは二部構成で、第一部は「コミュニケーション編」とあり、このゲームの真骨頂である、疑似人格とのコミュニケーションを通して、ストーリーを進めていく。
第二部の「ストーリー編」では、基本的にボタンを押すだけで話がどんどん進んでいく。
第二部ではCGを大量に消費して紙芝居をうっているが、容量の制限が厳しいROMメディアでは、あまり賢い方法とは言えず、到底CD-ROMにはかなわない。
また、第二部ではプレイヤーの選択の余地がほとんど無い。
という訳で、二部には大して見るべき点はないので、「非常に時間のかかるエンディング」と思って割り切ることにし、多くは論じない。
逆に第一部は、高速に多種のアニメーションを呼び出す必要があるので、CD-ROMでは到底不可能なシステムになっている。
また、アニメーションは本職のアニメーターを起用し、他のゲームのドット打ちキャラとは一線を画した、生き生きとしたキャラクターの創造に成功している。
本作では前作のようにギジンのパラメーターを見ることはできなくなっていて、より人間と近いコミュニケーションをとることができるようになっている。
これは、ゲームの方向性として実に正しく、本作では成功している。
目的が提示されないゲームというのは、プレイヤーにとって取っ付きにくく不安な気持ちにさせるが、自分なりの楽しみ方を発見したあとは、実に楽しくあそぺる。
逆に目的が提示されるゲームは、一度別の目的を発見すると実に窮屈でいらいらする。
このゲームの場合「例えばお淑やかな女の子したいのに、ストーリーを進めるために、体を鍛えさせざるをえなくなる」なんてことがあったりする。
全く目的の提示されないゲームというのは商売的に危険すぎるし、ゲームそのものも失敗作になる可能性が大きくなるので、やるべきとは思わないが、本作はもう少し自由度が高く設定されていると良かった。
コントラーパックより安い値段で、コントラーパックとセットのこのゲームが売られてたりするので、お買得感がある。ちょっと作り過ぎたねENIXさん。
そこで結論。
「シリーズが続けば大化けするかも。とりあえずやっておいてよいゲーム」
1997-10-17 1999-07-05 2002-07-02