完成するものしないもの

『こういうの作りたいなぁ、と思っていてもなかなか作れないもの。モノを作り上げるにはどうしたらいいものか』

 趣味や仕事で、特に創造的なことをやっていないと思っている人でも、結構作りかけて、ほうりだしてしまった作品というものが存在しているのではないだろうか。

 「私はモノを作るなんて...」という人もちょっと待った。
 人の本質的な特徴として「モノを作りだす」ということがある。人間であるかぎり何かを作り出したい、という欲求は誰にでもあるわけで、自然個々人に固有の作品というものがどこかに存在しているはずだ。
 それらは、おそらく自分では「恥ずかしくて作品として認めていない」のではないかと思う。

 これが、作品が完成しない理由の一つとなっている。
 どうも実力と作りたいもののレベルがかけ離れているのだ。

 自分が何を作れるかとか、モノを作る作業とかがイメージできていないわけで。
 要するに、途中の過程をすっぽかして完成したものだけを夢見ているのだ。これでは、モノが完成するはずはない。 

 先ず最初は「そうとうなブキッチョや阿呆でもできるだろう」という事から始めれば、確実に完成できるし、モノを作る作業や実力が把握でき、次はもう少し複雑なものが作れるようになる。
 どんな人も、これを繰り返すことによって、実力を上げていっているわけで、いきなりすごいものは作れない(のが普通)

未完成なのに...

 すこし細かく見ていってみよう。
 モノを完成させるためには三つの重要な過程が存在する。
 つまり、

「作り始めること」

「作り続けること」

「妥協すること」

 何を当たり前のことをと思う方もおられることと思うが、ここで重要なのはこれらの三要素には、「一切実力は関係しない」ということだ。

 別の言い方をするならば、「実力がなくてもモノを完成させることができる」ということであり、「いくら実力があっても完成しないこともある」ということなのだ。

 この三要素を個別に見ていこう。

 作り始めること、これは実に重要で、「作り始めたらその作品の60パーセントは完成している」という人もいるくらいで、ともかくこの部分のハードルは高い。
 この部分で完成させる目処がついているかどうかが、モノを完成させるときに重要で、逆にいうとこの時点で目処がついていないものは、大抵完成しない。

 作り続けること、これは三要素の中では割合簡単にできることだ。
 少しでも作っていれば、遅くても、ともかく完成に近づく。
 これがうまくいかない人は、三つ目の要素である「妥協」ができずに、結局作っては戻り作っては戻りとやっていて、全く進んでいない(事実上作っていない)わけだったりする。

 妥協すること、完成させるのにもっとも重要な要素がこれだと私は見ている。
 何といっても、完成する直前にすることが「妥協」である。この過程を過ぎると完成になるのであるから、これほど重要なものもないだろう。
 勿論、妥協しなくても完成する場合があるのだが、「そんな幸せな場合は極々少数」

 たまに、完成のイメージだけガバーッとあって、一気に完成させちゃう強者もいるが、それはおいといて、結論。

「自分の実力を見極め、妥協し続けることが完成への道」

(悲しい結論だノウ)


1997-08-25 1998-01-29