話しかけるパソコン

『Macが登場して以来、パソコンに大きな革命はない。次の革命はなんだろう』


 インターネットを含む通信技術の発達と普及によって、このところパソコンを取り巻く環境は大きく変化したが、パソコンそのものはたいした変化がない。

 もちろん性能は大きくアップしているが、それは「直線的な変化」と言ってよく、CUIからGUIへの移行のような変化ではない。
 となると文字(charcter base)の1Dから絵(graphic base)の2Dへと行ったのだから、次は3Dだろうと言うことになるが、それではあまりに安直すぎるというものだ。

 パソコンはどういうベクトルをもって進化しているのかということを考えると、1D-2D-3Dという流れもあるが、機械(machine)寄りから人(man)寄りへと言う流れが主にあって、3Dへの流れは従だと言える。

 言い換えると人間は「楽しよう楽しよう」としているわけだ。

(本当にこのようになっていくかは、私自身も多少懐疑的なのだが、今回はこうなるものとして話を進める)

 具体的には、どうなっていくのだろうか。コンピュータと人間の違いを考えれば、自ずと答えは出る。

 それは、「個性」と「自律性」である。

 では、それらはコンピュータのシステムとしては、どういうふうに組み込まれてくるだろうか。
 卑近な部分で考えてみることにする。

子ギャルマック

 「個性」としては、システムの出すインフォメーションダイアログの内容であるテキストは、システム本体から切りはなし、自由にカスタマイズできるようにするのがよろしい。
 そうすることにより、ユーザーによるインフォメーションファイルが出回ることにより。システムに色々な味(個性)を出すことができる。

 ついでに「多言語化が容易」であること、「アップルやマイクロソフトのライターは日本語が下手なので、それを解消できる(とても重要かもしれない(笑))」というメリットもついてくる。

 これを実現するには、システムを提供するときに、幾つかのシステムインフォメーションファイルを(ビルとエレンとスティーブとか(笑))用意する必要がある。
 このとき、音声によるインフォメーションファイルも同梱できるようになると更に良い。

 「自律性」に関しては、プッシュメディアが今後さらに普及するという、誰でも予想している(と言うかもはや確定している)ことではある。

 また、AI的なもの(オフィスに付いてくる「ワン太」なんかは違うぞ(笑)まあやりたいことは解るが)が、次の一手や曖昧な表現を適当に解釈して、提案してくるようになる。

 現在もっとも近しいテクノロジーは、FEPもしくはIMなどと呼ばれる日本語入力のプログラムだ。これらのプログラムは現在でも、曖昧な表現を受け止め、正解に近いと思われるものを提案している。
 ここらが、次世代の(日本語圏でないコンピュータも含めて)鍵を握っているのではないだろうか。

 そこで結論。

「今からしっかり考えて行動する訓練をしてないと、コンピュータが全部考えるようになってしまうぞ」

(よーするにビルゲイツにいいように操られてしまうってことか?)


1997-08-15 1998-01-29