『どうも世の人々はクリエーターと言うやつになりたいものらしい。でも作っている人はあまりいないみたいだけど・・・』
世の中人類総クリエーター時代というか、だれしも何か創造的な仕事をしたいと願い、実行しようとしたり、ひたすら夢見たりしているようだ(ま、私もその一人なのだが)
ここであえて言うが「真にクリエイターたりえる人間は一握り」なのである。
努力で何とかできると思っているならば、それは勘違いも甚だしい。
もしも努力で何とかなるならば、「日本はアインシュタインだらけ」だが、実際はそうではない。
努力がまるきり無駄ばかりとは言わないが「まるきり無駄なこともある」と言うことは認識してもいいと思う。
また、努力そのものは尊いものでも卑しいものでもない。努力することそのものが尊いように言われる風潮が強いが、極論としてはむしろ「努力は才能が無いゆえにやるもの」であるといえる。
同じ仕事なら短時間でできるほうが優秀だし、同じ時間ならより高いレベルの仕事をやるほうが優秀なのだ。
けして「努力する人間が優秀なのではない」。これに反論の余地はない。
そんなことを言ったらかわいそうだ、と思う向きもあるかもしれない。
努力しても酬われないのは確かにかわいそうだが、かわいそうだからと言って、その人物が優秀なわけではない。
余談だが、多くのソフトウェア会社は「プログラムの長さで給料を払っているのではないだろうか」と思う。
しかし、プログラムはむしろ短いほど優秀と言える。と言うことは「アホなプログラマほど稼げる」ことになり、会社は「殆どの金を会社の評判を落とすために使っている」ことになる。
特に会社の名前に似合わず、マイクロソフトはこの方式(もしくは類似の)を採用していると確信するのだが(違ってたらお手紙下さい)
じゃあ特殊な才能を持たない人間はモノを作っちゃいけないというのかというと、そんなことはない。
プロフェッショナルとしてやられると、おおいに困る(プロは特殊能力が有る故にプロなのだ)が、アマチュアとしてモノを作ることにも意味があり、むしろドシドシやるべきだ。
全く逆の事を言うようだが、本当にオールマイティに何もできない人間はいないし、ほとんどの人はほとんどのことができる。
腕がない、目が見えない等の障碍を持っている人にしても「相当なことができる」と言っていい。いわんや、健常者をや。
問題は「それなりのレベルのものができない」ということであって、絵を描くことなり、文章を紡ぎだすことなりを、ひとっカケラもできない人間というのは「よほど特殊」だといえる。
プログラムにしても、プログラミングするだけならば、まずできない人間はいない。「できないと思っているがゆえにできない」のである。
プロの作品のようなものを作ろうとして挫折する人も多いようだが、だれもかれもがプロにはなれない。
そういう「多くを持たない人」は、それなりのものを作ればいいのだ。
無理をして作ろうとしても「所詮作れない」ものなので非常に非生産的だし、アマチュアの場合は、作り出したもの(結果)よりも、作り出す作業で得るもの(過程)が重要であると言える。
そこで結論。
「結局、作れるものを作るしかないのだ。それ以上のことはできない」
1997-07-31 1999-10-11