『ときどき意味の解らない質問をしているのを、見たり聞いたり読んだりする。それはまさに、ミステリー』
「タイムマシンがあったらどうしますか?」系の、条件設定の部分に現実には例となるものが無い出来事が入る、と言う質問がある。
私は、この手の質問には前から多いに疑問がある、それはもうピラミッドの謎よりも深い。
試しに下の質問について、詳しく考察してみることにしよう。
「一日が二十五時間になったらどうしますか?」
あなたならどう答えるだろうか?私なら、
「二十五時間になるということは、地球の自転周期が変わるということですか?時間の定義が変わって、二十五時間になるのですか?それとも一時間超常空間にでも行くって訳なんですか?」
と、答える。
一応言っておくが、意地悪で言ってるんじゃなくて(これも「意地悪しないで下さい」などという、トンチンカンな受け答えの経験から類推しているのだが)、私には質問の意味が解らないのだ、これがサッパリ。
たとえば、質問者がこの問いにテキトーに答えたとする。
「えと、自転が遅くなったってことで・・・」
「そんなことになったら、地球は天変地異の雨霰(あめあられ)じゃ、おりゃサバイバルしてるね、絶対!!」
てことになる。想像すればすぐ解るだろうに?解らんのか?
これらの質問は、質問に答えられる前に、質問者が答えを用意しているのが見えるのが、非常にいやらしい。
「一日が二十五時間になったらどうしますか?」
と言う問いに対して用意してある答えは、恐らく、
「一時間もらえたら、ともかく寝ますね」
「趣味の時間に使いたいです」
あたりのようだ。テレビやラジオから流れてくる町の人々の声を聞くかぎり、そんなことを答えている。
これらの答えから、質問者が期待する「常識」と言うやつを、推察してみる。
「まず24時間は、全く通常通りに時間が経過し、突然一時間自分一人に自由に使える時間が与えられる」
と、言ったところだろうか。
24時間が通常通りすぎると言う前提は、答える人間が「増えた一時間のことしか話題にしていない」ことから推察される。
自分一人が自由に使えると言う前提は、もし他の人々も同様に、一時間増えるのならば、今の24時間サイクルが、25時間サイクルに変わるだけで、特別にその他の変化があるとは思えない(詳しくシミュレートしてみると、意外なことが解るかもしれませんが、そこら辺はこの際問題ではないでしょう)ので、社会的に起こることではなく、個人に起こることだと推察できる。
しかし、この時だれしもおかしなことに気づく(ハズなんだけどなぁ)。自分一人に一時間与えられるならば、その時他の人々はどうなっているのか?
ここまで考察すれば、いかに私でも気が付く、「こいつら、そんなこと何も考えちゃいない」ということに。
しかしながら、私はそこで新たな疑問を浮かべずにはられない、
「何も考えてないのに、何で答えが出るんだ?」
どうも、私の知らないところで「みんなの常識大辞典」を使った勉強会が行われているようだ。
私にも「みんなの常識大辞典」を一冊分けてもらいたいものだ、しかし、その本をもらったところで、「みんなの常識大辞典」を読むための常識、が必要なのだろうが。
そこで結論(つーか、提言)
「すべての人間が自分と同じと思うなよ、むしろ、すべての人間が自分と違うのだ!!」
1997-07-16 1998-01-29