見えないものは怖い

『人間何が怖いか、というと圧倒的に「見えないものが怖い」と言えるのではないだろうか。ウィルス、細菌、電磁波、電磁気、そしてプログラム』

 人間は視覚により多くの情報を得ているのは間違いないところだ。
 例えば、音声によるコミニュケーションである会話も、実は、身振り手ぶりや表情に多くの情報を得ているということが、最近の研究で判ってきている。

 「見えない=コントロール(予想)できない」と考えるのか、一般に見えないものに対する恐怖は、並々ならぬものがある。

 実際はそれが見えていようと見えていまいと、「コントロールできるものは、コントロールできる」のだから、「見えない=怖い」ではなくて、「コントロールできない=怖い」となるはずなのだが。

 「見えない=コントロール(予想)できない」とはどういうことなのか、それは「コントロール(予想)できない=知識が足りない」と言っていい。
 ここで「見えない」を「理解できない」と置き換えると、すんなり納得いく。
 ということは、さらに「見えない」ことと同様に、「触れない」ことも、理解し辛いものとして、恐れを抱かせることになる。

 「よるな、よるな!「○×菌」がうつる!」、いじめられる対象にこれといった理由はない、つまりは原因が「見えない」そこで同じく見えないものである「菌」を比喩的に使用するのかもしれない。
 これは、とりもなおさず、子供に「正しい知識」が足りないゆえに起こることと言える。

 同じく、昔の人にとってみても、細菌は全くワケの判らないもので、それらは魔女の仕業だったり、妖精の仕業だったりして、「とりあえず定義して納得」して「理解したふりをする」わけなのだが、結局実際とは違うので疑心暗鬼になって、結局恐怖はなくならない。
 近年の科学の発達により、ハッキリと原因を特定することができて、恐怖は間違いなく減っている。

プリントアウトで確認

 となると、現在発展途上や未開拓の技術・知識も、恐怖の対象となりえるのではないだろうか。

 今やほとんどの情報がディスプレイ上で完結している、しかし、ほとんどの人は紙に出力しないと「落ち着かない」、これは必要がそうさせるのではなく、恐怖がそうさせるのだ。

 また、電子マネーは、セキュリティの確立などの問題よりも、人々の触れない・見えない物に対する恐怖(無理解)が、その発展の大きな障害になるのではないだろうか。

 そこで結論。

「可視の(理解できる)ものを増やすことが恐怖を克服する術だ。でも、理解したフリでは役に立たないぞ」


1997-07-12 1998-01-29