『コンピュータを扱う上で、速度や豊富な機能よりも重要な要素が、マシン・マンインタフェースである。しかしながら「この操作性の良さ」という要素は、意外に軽視されがちな問題でもある』
消費者であれクリエーターであれ、常にモノを使う時にはインタフェースに触れずに済ますことはできない。ここで、少し未来のインタフェースについて考えてみるのも、そう時間の無駄ではないと思う。
未来のインタフェースは、間違いなく「コンピュータゲーム」がその鍵を握っているものと私は思っている(ここで言うのは特に家庭用やアーケード等のゲーム専用ハードのこと)「たかが遊び」と思う事なかれ、コンピュータゲームほど真剣にインタフェースがデザインされ、ユーザーからのシビアなリクエストを受けているものはない。
又、コンピュータゲームはあらゆるコンピュータ最新技術の実験場となっていて、インタフェースについてもその例外ではない。事実コンピュータゲームは常に新しいインタフェースを模索しており、機器にしろその使用法にしろ、非常にバラエティに富んでいて、殆ど1ゲーム1インタフェースという世界だ。世の中には「そりゃあもう大変な数」のゲームがあるので、それと同数のインタフェースが日々作られては消えていっていることになる(ビジネスソフトで「バーチャファイター」のようなインタフェースが出現することは、世界がひっくり返ってもないでしょうね)
これはゲームの特性上「サイクルが早いこと」と「ソフトウェア専用のハードウェア」が作られてきたことに起因していると思われる(過酷な環境と多種の競争が、急速な進化の要因となった、と言えるんじゃないでしょうか)
また、ゲームを遊んで貰うには複雑なインタフェースはでき得る限り排除しなければいけない(ゲームセンターに行って、電話帳のようなマニュアルが匡体にぶら下がっていたら、だれもゲームをやろうとしないでしょう)ボタン一個を削る、操作一回を減らす、と言うことが大命題となるのだ。このような世界ではインタフェースはストイックなまでに洗練されていく(操作(機能)が増えること「そのもの」が、あたかも素晴しいことのように言われる、パソコンの世界とは大違いです)
実際の話パソコンは、ソフトウェア的には少々変化があるが、十数年も殆ど工夫らしい工夫もなく(むしろウィンドウズキーなど混乱に拍車をかけてさえいる)同じようなハードウェアインタフェース(キーボードとマウス)を使っているが、ゲーム機の入力装置は、圧倒的な進化を経て、初期のものに比べると格段の操作性を実現しているのだ。
「ガキの遊びと、大人の仕事では複雑さが違うんだよ」と言う方もいるかもしれない。
しかし、考えてみれば、未来の担い手である子供は、コンピュータゲームに馴れ親しみ、その操作を熟知し熟達している。もはやこれは大人の及ぶべからざる領域に到達していることは、誰しも肯定せざるを得ないところだ(「スト2」でオレのリュウをボコボコにしたブランカ使いのガキっ!忘れんぞっ!!オレはそのころ波動拳もロクに出せなかったというのに、クソーッ今思い出しても腹の立つ)
そして、優秀なインタフェースとは、「複雑な事を複雑な操作で実現する」のではなく、「複雑な事をシンプルな操作で実現する」ことにあるのだ。
そこで結論。
「パソコンばっかりやってると、時代に取り残されるぞ!コンピュータゲーム(特にゲームセンターの)をやり込め!!」
1997-07-09 1998-01-29