ファミリーコンピュータのディスクシステム用ゲームとして登場し、その独特の世界観と完成されたゲームデザインは多くのプレイヤーの心を魅了した。
二作目はゲームボーイで、そして、遂にスーパーファミコンで、サムス・アラン三度出動!!
ゲームは同社のゼルダの伝説のアクションしつつ、アイテムでパワーアップしていくタイプのものだが、非常に近いようでかなり遠いゲームに仕上がっている。
まず、サイドビューであるため、よりアクションゲームとしてのスキル(技術)が要求されるようになっている。
また、会話などのシステムがなく、ストーリーらしいストーリーはゲーム中に語られることはないので、よりストイックにゲームの部分と向き合わねばならなくなっている。
つまりは、純粋にゲームの面白さで勝負してきているのだ。お話や凄い映像でお茶を濁そうと言う意志がさらさらなく、実にストレートで心にくる。
グラフィックはファミコンっぽいざらざらした感じで、グラデーションバリバリの綺麗なタイプではないのが、逆に雰囲気を盛り上げる。
音楽は時に力強く、時におどろおどろしく、時に心細げに、手のひらの発汗度をあげる。
おどろおどろしいクリーチャーを相手に、ひたすら地下迷宮をたった一人で戦い抜く。周りは全て敵ばかり、頼れるのは己一人の力のみ。
こんな感じで、グラフィック、音楽や世界観がストイックなゲーム性にぴったりマッチしている。
シリーズのファンには「おおっ」と思う仕掛けもあり、シリーズもののツボを心得ている感じだ。
最初のメトロイドではセーブした後、再開時にエネルギーが0になっていて、一生懸命敵を倒してタンクをためなければいけない等と言う、おばかなことがあったが、そういう不満も本作では無くなっており、オプションもいたせりつくせりである。
ゲームを進めるとアイテムで強くなるだけではなくプレイヤー自身のコントロール能力が高くなり、一度目のプレイと二度目三度目のプレイでは、攻略スピードは勿論、攻略ルートまでもが変わってくる。
これは、練り込まれた操作性のなせる技であるといえる。
隠されたアイテムも多く、繰り返し性の強いスルメゲームになっており、クリア時に獲得アイテム率が表示されることや、クリア時間によってエンディングが変わることと合わせて、中毒性が高い。
ちなみに、最初のメトロイドでは、主人公のサムスが女性だということが、かなり話題になったものだ(ちなみに、SFC版はテレビCMでいきなり女性だとばれちゃってるが(笑))
映画エイリアンやナムコバラデュークもそうだが、こういうハードでじめじめした世界観をもった作品は、主人公が女性であったほうが救われるところがある。
それに私個人としては、戦う女性はほとんど無条件に「ああっ、カッコエエなぁ」と思ってしまう。
これだけ良いところがあるのだが、このスーパーメトロイドはたいして売れてないのだ(もちろんそれなりには売れているのだが)
このことは、多くの人はゲームにゲームを求めていない、という非常に理不尽な結論を導き出す。
これはコンピュータゲームリテラシー(読解力に対するゲーム解力)を持つ人間がそもそも少ないことを示しているのか、まだまだコンピュータゲームがどういうものであるかが浸透していない(教育されていない)だけなのか、大いに気になるところではある。
そこで結論。
「ゲーマーかそうでないかは、これを面白いと思うか思わないかで決まる」
1998-03-25