チュンソフトがスーパーファミコンで開拓した「サウンドノベル」というジャンルが、CD-ROMという媒体を得て、実写画像をふんだんに使用することができるようになった。
シナリオに「特捜最前線」「怪傑ズバット」の長坂秀佳を迎え、音楽に難波弘之、主題歌が鈴木結女など、渋めにゴーカ。出演する役者も竜雷太など、いぶし銀にゴーカだ(ゴーカでも売り上げに結びつかないとこが渋過ぎる)
チュンソフトが満を侍して発表するサウンドノベル第三弾。
システムとしては、背景に画像を置いて、文字を画面全体に乗せて読ませ、選択肢を選んでいく、言うならばゲームブックをコンピュータ上に置き換えたものである。とは言え、一言でゲームブックといっても非常に幅の広いゲームシステムを持っているので、これではシステムの説明にはならない。
本作での特徴は、8人のキャラクターのストーリーを平行に進めていきながら、互いの障害になっているフラグを排除していくことによって進行することにある。ここで、キャラクターを切り替えることをZAPという。
本文中の単語にハイパーリンクが張られていて、これをTAPと言う。ゲームの中では本文に対する蘊蓄や突っ込みとして使われていて、漫画の枠に書かれた文章と同じ役割をしていて、高い効果を上げている。また、この文章を読んでいる読者に「ハイパーリンクの気持ちよさ」を説明する必要はないだろう。
渋谷を舞台に展開するそれぞれのストーリーは、テキトーに無茶で、テキトーにリアルであり、バラエティに富んでいて飽きさせない。
実写の絵も、CG処理で安くついている部分も多いが、結構金がかかっていてクオリティが高く、所謂CGや絵では事実上不可能な密度の情報を提供してくれる。これが本文の文章量を減らすことに貢献している。
世の中には、絵(画像)を見りゃわかることをクドクドと文章(しかも下手)で説明するゲームが多い中、流石に本家は違う。自分が使っているシステムが分かっている。
とにかくテキストのデキが、他のゲームと比べて格段に違う。
しかも8人のストーリーがからみ合う複雑な構造、いくら面白いシステムでも、作るのが面倒でフォロワー出ないこと間違いなしだ。
すでに、一人のキャラクターが通過したフラグが元で別のキャラクターが手づまりになることがあるので、過去の選択肢を選び直してバッドエンド(これを見るのが本作の楽しみの一つ)を見て、選択肢をそのままにしておいたりするとハマる。
一番新しく選んだ選択肢を条件として、次のストーリーが進行するからだ。
このルールを使って、ヒモを解きほぐすように、パズルを解いていく。パズルだと気付かないでプレイしていると怒り心頭に発するので注意。
また、「音楽を使わない」のが上手く、逆に言えば音楽の使い所がキマっているといえる。
さらに音楽や効果音が物凄く分りやすく耳に残る、言うなれば「ハイクオリティにベタ」なのが相乗効果を上げている。
まさに「サウンドノベル」の面目躍如である。
サイコーに面白いこのゲームだが、販売的には不振である。
毎回「サウンドノベル」って名乗っていいのか怪しくなる程のシステムの変更、困ったことにシステムの変更の割に「見た目が同じに見える」ってのがヤバい。
さらに困ったことに、システムが新しいのに、システムのポテンシャルを使い過ぎで、プレイヤーが慣れる間もなく高等テクニックを使わせている。
周りが「インベーダー」の時代に「ギャラガ」ぐらいにしときゃいいのに「グラディウス」をリリースしているようなもんである。流石にまずいと思ったのだろう、後に発売されたPS版では、かなり救済作が用意されているようだが、プレイヤーを教育する必要があることを認識すべき。多くのプレイヤーは面白いと気付く前に投げ出しているのではなかろうか、私の場合は1年ぐらい投げ出したままになっていた。
第一作の「かまいたちの夜」から、類似のソフトが他社から何十本(3ケタかも)も出ているというのに、本家がまだ3本しか作ってないってーのはいかがなものか?どう考えても「作り込みすぎ」である。
トドメに実写を使ったのが、ゲーム的には良くても販売的には不振に終わった原因の一つ。なにせ「実写を使ったゲーム=手抜き(駄作)」という構図は根深くゲーマーの心に刻まれていると思う。
最後に一つ、ゲーム的な部分で苦言を言うと、実質的なエンディングである「花火」というシナリオだが、8キャラクタークリア後(これはいい)、「隆士にカーソルを合わせ、カーソルの点滅を3回待ち、左に十字キーを入れる」と選択できるというのはどういうもんだろうか?ちなみに、これはPS版で解消されているようだ。
そこで結論。
「新システムなのに容赦のない作りこみが敗因、でも名作」
2001-10-31