達成感の魔力
クリアの嬉しさはなぜ生まれるのだろう
クリアの達成感
困難を克服できた場合、それは価値のあるものだと人間は解釈する。
実際それが自分や社会にとって良い結果をもたらすかどうかは勘案されない。
これが非常に反射的な「達成感」という楽しさ・嬉しさだ。
満腹感と同様の、幸せのの定義の一種と言ってもいいかもしれない。
いかに達成感を的確に与えていけるか、それこそゲームバランス調整と言い切ってもいい位の要素。
ほとんど達成感こそがゲームの面白さそのものと言ってもおかしな気はしない。
今回はゲームにおける、達成感を与える工夫を探ってみたい。
難しくする
前述のように達成感は困難(プレイヤーの何らかの能力のテスト)を克服することで得られる。
難しいゲームは、クリアできる人にとっては挑戦しがいのある良いゲーム、達成感のあるゲームとなる。
特にアクション系のものでは顕著で、プレイヤーキャラクタの操作がどれだけ上手いかを試す敵やトラップが、これでもかと用意される。
達成感は快感であるので、なれるとより強い刺激が欲しくなる、つまりゲームは難易度が上昇しやすい構造をそもそも持っている。
難易度が上昇しすぎてクリアできない場合、一転して難しいはつまらないに変わる。
これを回避するには、別種の能力テストを挟んで刺激に慣れにくくする方法があるが、なかなかそれは難しい。
ジャンプアクションに知識クイズが挿入されると、別種の快感が得られる…とは考え難い。
プレイヤーは、うどん屋に入ったらシャンソン聴かされた、位のなんだそりゃ感を覚えるだろう。
同じゲーム内に存在するには、ある程度似た能力を試すか、必要な能力が重なっている必要がある。
うどん屋でカレー位の近さは必要だ。
対戦で発生する難易度については勝つと嬉しいにも書いたが、対人要素が絡んで複雑になるので別の機会に語りたい。
時間をかける
RPGは時間をかけてレベルを上げればクリアできる、ビジュアルノベルに至ってはボタン(キー)さえ押していれば最後までいけるものも少なくない。
これでは達成感はないように思われるが、「クリアまでが長い」という方法を取る事で難易度を上げている。
時間をかけるというのは、例えば忙しい人にとっては超高難度である、ということは容易に分かるだろう。
さらに、これだけ時間をかけたのだから無駄ではなかったはずだ、いや無駄どころか時間をかけて達成した価値があった。
「そう!このゲームは面白かった!!」
なんだか詐欺や催眠術っぽいが、詐欺的価値転換こそが「ゲームの面白さの本質」だったりする。
なお、時間がかかるゲームについては早く終われ!で語っている。
そこではサクッと否定しているが「時間がかかること自体にゲームとしての価値がある」のもまた真実である。
なお大前提ではあるが、途中で放棄されないような工夫がなければ「時間をかけた達成感」は発生しない。
一応「序盤から放り出すのが惜しくなるまでの時間、面白さを継続する」ことができれば、「ダラダラとした」時間をかけさせることはできる。
常にプレイさせなくても、07th Expansion ひぐらしのなく頃にのように、分割して長期にわたりリリースを続けることで時間をかける、ということもできる。
ただしひぐらしのなく頃には、単純なプレイ時間そのものも長いが。
連載ゲームについては、単純に時間がかかる事以外にも様々な要素が介在するので、また別に語りたい。
お金を出す
努力したとか、時間をかけた、と同様に「お金を出した」というのも達成感に影響を与える。
今払ったお金は無駄ではない、いや無駄どころか価値があった、お金をかけて達成したのだ。
「そう!このゲームは面白かった!!」
とまぁ、時間と同じ論法が成立する。
古参のゲーム好きは否定しがちだが、お金を出してクリアすると達成感があるのだ。
古いゲーマーでも「人から借りたゲームより、自分で買ったゲームの方が達成感がある」という経験はあるだろう。
ただ、人(経験や経済力)によって達成感の大小がかなり異なってくる、のも間違いない。
ゲームセンターの筐体をまるっと買うとかガチャゲーのレアカードコンプリートというレベルは例外として。
基本的にゲームは誰もが払える経済的難易度なので、難易度の一種としての側面はかなり薄い。
またゲーム内の課金は、お金を払う事によって、そもそもの難易度が下がることも多いので、難しさによる達成感が落ちてしまう。
金によってゲームの面白さ・達成感を出すのは様々な工夫がなされていて奥が深い。
お金の回収方式によるゲームの面白さの変化など、お金とゲームについては、また別に語りたい。
偶然の幸運を得る
偶然の幸運を得ると達成感がある。単なる偶然である。
これに達成感を覚えるというのも不思議だが、大抵の人は運の良さというのは「人の持つ(天から与えられた)能力の一つ」と感じている。
故に、何かをランダムで得られるというのは、難しいゲームと同様のゲームを面白くする効果がある。
他の要素と組み合わせると、さらに効果が高いのが、運による達成感だ。
例えば不思議な事に、金を支払って何らかの益を得るだけでは今ひとつ達成感がないのに、間に抽選(要するにくじ引き)を挟む事で達成感が得られる。
得られるまで時間がかかる場合もあるが、運なのでいきなり手に入る事もあるし、(運が能力でないとすれば)プレイヤーの能力によらず手に入るのだ。
プレイヤーの能力差を考えなくてすむため、ゲーム制作者としては達成感を高める手段としてまことに使いやすい。
予定・予想通り
計画をたて、その通りにプレイできると達成感がある。
これが一番「達成感」という言葉から連想するものではないかと思う。
予想して予想通りのことが起きても達成感があるが、そこに至るまでにプレイヤーの関与があると、より強い達成感がある。
予想するにしても、予想を導きだすまでの過程が豊かであれば達成感は高い。
単に勘で予想するより、これまでのパターンや状況から演繹して導きだした予想の方が達成感が高いというわけだ。
推理ゲームでは能力テストの一種として予想する事がゲームの中に取り込まれている。
シミュレーションゲームなどでは計画を立てて実行することが必要となるので、必然的に計画遂行の達成感が得られる。
これらのようにゲームのルールに取り込まれていなくても、プレイヤーが自発的に計画を立ててプレイする、ということは良くある。
あまり予想外のことが起きすぎると、予定・予想を楽しむタイプのプレイヤーにストレスとなる。
このあたりゲームにおけるストーリーで語ったように、ゲームとストーリーの折り合いの悪さの理由の一つだ。
期待に応える
誰かの期待に応えると、達成感がある。
例えば自分ではごく簡単にクリアできるゲームであったとしても、難しくてクリアできないので代わりにプレイして先を見せて、と依頼されてクリアすると、晴れがましく達成感がある。
ゲームセンターでギャラリーに囲まれてクリアしたゲームは、一人で黙々とクリアしたゲームより断然達成感がある。
また、人とコミュニケーションが取れるオンラインゲームでは、人の期待に応える状況はたびたび発生する。
特に所謂ソーシャルゲームでは、誰かに頼み頼まれることをシステムとして採用する事が常套手段だ。
達成感の高さは劣るものの、本物の人間でないコンピュータ内のキャラクタの依頼を解決しても達成感が発生する。
だからRPGでは依頼・解決型のシナリオが「お使いゲー」と揶揄されながらも連綿と続くのだ。
誰かがプレイヤーに期待し、それに応えてクリアする。そこに達成感が発生する。
以前成功したら誉めてくれでは、誉められると嬉しい、と単純に書いた。
人の期待に応えたという事を明解にする意味でも、褒める事は重要である。
素晴らしい報酬
達成による褒美があると、当然達成感は高くなる。
コンピュータゲームの場合、結局は情報を与える以外の事はできないので、なかなか難しい。
単純なところでは、アニメーションや音楽・効果音による派手な演出が、報酬の一種として存在する。
先ほど述べた褒められる、ということも報酬の一種だ。
また、スコアも報酬としても機能するが、初期のゲームに比べると報酬としての価値はかなり落ちている。
このへんについてはスコアスコアスコアでも述べた。
あと、事前に報酬が知らされていないと、達成感の高まりはさほどない。
唐突な報酬は、悪くすると呆気にとられるだけで嬉しくない、という事になりかねない。
ゲームでの報酬については、なかなか奥が深いので別に語りたい(今回特に多いなー、このパターン)
明確なゴール
ゲームにおけるクリアというものは、明確なゴールを設定し達成感を誘発するための仕掛けと言える。
これがないと、プレイヤーが自主的にゴールを設定する必要があり、漫然とプレイしている場合に達成感が発生しない。
そしてプレイを進行させるために、ゲームクリアという1つのゴールだけではなく、面クリアなどの細切れで提供される。
ゴール条件を細かく設定したアチーブメントという仕組みは、従来プレイヤー側で目標設定していたものをゲーム内で明確化し、多くのゴールをプレイヤーに提示する。
そのため、様々な種類の達成感を途切れなしに味わえるようになる。
プレイヤーをゲームにつなぎ止める、まことに恐ろしいシステムと言える。
まとめ
達成感は基本「困難な障害を克服し目標に到達」することで発生する。
と同時に、誰かから依頼されるとかゴールの際の演出とかで、大した事やってなくても十分な達成感が得られたりもするという、意外にフワフワした存在でもある。
そこで結論。
ゲームの達成感は作られる。だから、もっといい達成感を作りうるのだ。