カードの性質

コンピュータゲームなのにカードをシステムに取り込み過ぎじゃね?

可愛さによるジャイアニズム
ババ抜きは心理ゲームである

カードの立ち位置って

 アイテムの一種なのかそれとも別の何かなのか、不思議な立場にあるのがカードだ。
 カードはアナログゲームではもちろん、コンピュータゲームで使うのにも非常に優れた面が多い。
 今回はアナログでのカードの持つ性質を中心に、ざっくり考えてみる。ほぼコンピュータでのカードにも通用する。

 カードには数値・絵・解説・表裏などの要素がある。
 基本的には1枚の印刷物なので、本が持てる要素がほぼ持てるという、よく考えたら凄い性質がある。
 これらの性質が互いに影響しあい、カードは極めて豊かな性質を備えている。

抽象的なものの具体化

 キャラクタのように絵として具体的に表しやすいものはもちろん、カードという形にする事で抽象性の高いものもアイテム(オブジェクト・量子)化できる。
 これはカードの利点でも特に優れたものだ。

 例えば、紙幣は「ものの価値」という極めて抽象度の高いものを、アイテム化している例だ。
 トランプは数値をアイテム化しているし、バトル系カードゲームは攻撃などの動作をアイテム化している。
 すげー発明だよ、カードって。

動詞の具象化

 以前アイコンと操作性で書いた通り、絵で名詞を表すのは容易だが動詞を表すのは難しい。
 だが、カードではかなり動詞のカード化がなされている。

 まず、カードはアイコンに比べ絵が大きい。
 そこで具体的動作を(キャラクタを使って)絵にできるし字も書ける。
 字は単語程度ではなく、文章として書ける。
 最初は絵が何を意味しているか分からなかったとしても字によって意味が判明し、プレイを重ねるにつれ絵だけで判別できるようになる。
 ある程度の大きさがあるというのはカードの欠点ではあるが、余あるメリットもあるのだ。

 ちなみに多くのRPGでは、カードではなく巻物(スクロール)として動詞をアイテム化している。
 巻物をカードに置き換えても、いっこうに構わない。

ルールの具象化

 カードの凄いところは、ルールさえもカードという形でアイテム化してしまう事だ。

 ボードゲームではよくイベントカードを引くというルールがある。
「交通事故にあった、$1000支払う」とかいうアレだ。

 カードを介すると、突然起きるイベントをプレイヤーに納得させられる。
 おそらくカードを引くという行為により、制作者ではなくカードを引いたプレイヤーに責任が転化されるからだろう。

ビジュアル

 具体化を補助する働きとして、絵による視覚化(ビジュアライズ)が用いられる。
 絵の中でも特に人物(キャラクタ)が描かれる事が重要だ。

 紙幣にもトランプにもキャラクタがあることで、抽象的で分かりづらいものが一気に身近で分かりやすいものに変化する。
 2000円札が普及しなかったのは、図柄のキャラクタ性が弱かった事も一面にはあるだろう。

分離と集合

 本のページと異なるのは、一枚一枚がバラバラであること。
 この事から、現れる順番が決まっていない、セット全体のサイズも決まっていなくて追加できる、同じものが複数存在できる、などの性質がある。
 本のページでも同じものが複数存在できはするが、複数ある意味はあまりない。しかしカードは違う。

 このため、世の中に存在する同一システムのカード全体をひとつのセットと捉える事もできる。
 トレーディングカード(ゲーム)が、この概念を持っている。

くじ引き

 カード全体の枚数とその内容が決まっている場合は、あと何が残っているのかとか、どのくらいの割合で出現するのかが予想可能となる。
「ある程度予想できるが、ある程度裏切る」というのは、ゲームに限らずエンターテイメント全般を面白くするのに必要な要素だ。
 ある程度ってどの程度だよ、という声も聞こえてくる気がするが、カードを使うとかなりその「ある程度」に近づくというのが、私の感覚だ。
 単純に確率を提示されるより、カードの枚数で示され方が具体性が高くイメージ(予想)しやすいのが、特に良い。

 例えば、1/20の確率で出るアイテムがあるとして、20回試行したら1回必ず出るかというと、1回もでない事もあれば20回全部で出ることもあるのが単純な確率。
 これがカードだと20枚中1枚にアイテムカードがあるとして、20回引いたら必ず1回出るのである。そしてもちろん2回以上出る事もない。
 この予想のしやすさは、ゲーム的には非常にバランスが取りやすいという事でもある。

 ランダム要素については、ゲームの非常に重要な要素なので、そのうち詳しく語りたい。

デッキ

 手札の数に制限がある場合、カードはアイテムの数に制限のあるRPGのように、カスタマイズの面白さがある。
 トレーディングカードゲームはデッキを組むことが、プレイそのものと同等な面白さを作り出している。
 デッキを組む際、キャラクタも動作(攻撃や魔法など)もアイテムも、カードによって同質の変更可能な1単位となっているのだ。
 己の価値観に沿って価値の再編成を行う行為が、面白くないわけがない。

コレクション性

 カードは小さいとはいえ立派な絵でもある。
 絵画収集が人を惹き付けてやまないのであれば、カード収集も絵を集めるという一点だけとっても、十分なコレクションとしての吸引力を持っている。
 先ほども書いたが、特にキャラクタに吸引力があるのは、収集ブームを作ったカード(やメンコやシール)は野球選手やヒーローなどほとんど何らかのキャラクタが描かれている事からも分かるだろう。

 またカードは全種類が万遍なく存在する必要はなく、あるカードは10%存在するが別のカードは0.01%しか存在しない、という配分もできる。
 という事は、所謂レアなものが作れるという事であり、これがまた収集欲を刺激する。
 コレクションの面白さについては集める楽しみでも書いたので、そちらも参照して欲しい。

表裏

 裏は同じ図柄が書かれていて、表がどのようになっているか分からないのが、多くのカードの特徴だ。
 もちろん、将棋のコマのように表と裏にそれぞれ意味を持たせて使い分けるようなカードも作れるが、そのようなカードはあまりない。

 裏面はセット内の全てのカードが同じ点対称の図柄となっており、表面の図柄及び上下が分からない。

宝箱的性質

 裏返っているカードをひっくり返して内容を確かめるのは、アイテム入手方法で書いた内包型といえる。
 要するに、カードは宝箱と同じ性質を持っていて、開くまで何が出るか分からない期待感がゲームを盛り上げる。

 カードを選ばせるのは、アナログのゲームなら心理戦的意味もあるのだがコンピュータ上でもこの演出が入るものが多い。
 プレイヤーに選ばせる事により、実際は乱数で決まった事に変わりはないものの、選択したという満足感をプレイヤーに与えられる。
 もちろん、前述の宝箱を開けるワクワク感をさらに盛り上げてくれる。

上下

 表面は上下がはっきりしている図柄も使われ、セット内に複数の図柄が存在する。
 コンピュータゲームの場合は、必ず上で開かれたり、裏が存在しないものもあり、この場合も上下に意味は付けられていない。

 上下という要素があるカードだが、大抵のトランプ(プレイングカード)は表も点対称的な図柄で上下要素が消してある。
 上下を意識させる図柄だと、あまりにもノイズとして大きすぎるという訳だ。
 キャラものの場合は図柄に上下がある事が多いので、プレイしずらいと感じる理由のひとつとなっている。

2値乱数発生器

 カードは表裏があるので、そのどちらが出るかをサイコロ代わりにできるが、同じく裏表のあるコインに比べると、さほど使われる事はない。
 カードの場合に2種類の乱数を発生させるのは、表裏ではなく上下になる。
 主に占いで知られているタロットの正位置・逆位置などが有名な使われかただ。

場所による意味付け

 本と違い、カードは1枚ずつ分離しているので、自由に配置できる。
 それは置かれている場所によって、別の意味を持たせられるということだ。
 タロットカードの配置(スプレッド)が代表的だ。
 カードゲームでも、山札・場札・手札・捨て札でルール上の意味が変わってくる。

 山札・場札・手札・捨て札については、かなり奥深いので別途語りたい。

まとめ

 なんかイマイチまとまらないなーと思っていたゲームをカードにしてみた途端まとまる、ということが制作現場では起きているんじゃないかと思う。
 その位の威力がカードにはあると、私は思っている。
 デメリットは表示にある程度の面積が必要だという事ぐらいだが、大抵の場合その面積的対費用効果はメリットが勝ってあまりある。

 そこで結論。

カードの汎用性はんぱねぇーーーっ!! そりゃ使いたくなるよ!!!