脱出王のゲームデザイン(1)

私はいかに脱出ゲームを分析し、脱出王に組み込んだか

高貴な方がお忍びとか定番ですよね
脱出王女

脱出ゲームとは

 脱出ゲームとは、大ざっぱに言えば、Cyan MYSTを一部屋だけにしたもの、と言える。
 Jan Albartus MOTAS Mystery Of Time And Space、Higo Yoshiyuki Droom2002が、典型的な脱出ゲームの中では古そうだが、どれが元祖かはよく分からない。
 ただ、FASCO-CS CRIMSON ROOM2004が、ブームを作ったのは間違いなさそうだ。

 CRIMSON ROOMは、Flash利用、操作はクリックのみ、部屋はひとつ、アイテムは全部で10個程度、文章はほとんどない、基本は部屋の中央にいる一人称視点で旋回で視点移動できる、目的は脱出、難易度は高め、クリア方法が分かればクリア時間はせいぜい何分か。
 とまぁ、現在の「脱出ゲーム」の、ほとんどが持っているフォーマットを備えている。

まずは分析

 脱出ゲームを分析した所、ひとつの方向性を得ることができた。
 それは「ゲームに束縛されないゲーム」ということ、キーワードは手軽。

 一般的な脱出ゲームから取り出した要素と、脱出王でそれをどう取り入れたかを、以下並記していく。
 正確には脱出王ではなく、テクスティオというそのベースのシステムの説明になっていることもあるが、ここでは両方とも脱出王ということで統一した。

手軽な要素

目的がシンプル

 これが「脱出ゲーム」の最も受け入れられる点だと思われる。
 ストーリーがないのが、脱出ゲームの良さのひとつだ。
 物語が付いていると「ストーリーを意識しなきゃいけないのが面倒」に感じられる面がある。
 手軽さが核である「脱出ゲーム」にストーリーは重いのだ。
 同様に主人公は画面に出ず、登場人物は他にないことが多い。キャラクタもまたストーリーと同様にゲームが重くなる要素だ。

 ここは特に留意して脱出王の基本目的は「部屋から脱出する」以外になく、人称は「君」として視点をプレイヤー側に置いた。
 人称を「私」とするとプレイヤーには一歩引いた感覚を与える。私という別人格を感じさせるからだ。
 「君」なら、その人格はプレイヤー自身となる。年齢や性別も特定しない(ただし、若い男のような印象は少しある)

操作がシンプル

 まず取っ付きがいい。ゲームを始める時に構える必要が無い。
 クリックだけ操作方法を読む必要がない。

 脱出王CUI入力であるため、ちょっとここに障壁がある。
 漢字変換不要、入力するのは「動詞 名詞」の最大二単語に限定、ローマ字入力というところで操作のシンプルさを出している。
 以前(8bit時代)に比べ、文字入力の障壁は格段に下がっているので、やりはじめてみると、さほど面倒な操作でないことに気づいてもらえるだろう、との見込みを付けた。

ブラウザ上でそのままプレイできる

 もう「ダウンロードして実行」という手間すら重い。
 だから、ブラウザ上でそのままプレイできる、というのは極めて重要な要素だ。

 脱出王は、素直にFlashという選択をした。
 JavaやJavaScriptという選択肢もあったが、JavaはVMの起動がストレス、JavaScriptはブラウザ間の仕様の違いを吸収するのが(制作者的に)面倒、ということで避けた。

クリアまでにかかる時間が短い

 これがまた重要で、クリアまでに24時間以上かかるとか、そんなゲームはドラクエとFF以外はいらない、というのが結構なゲームファンでも正直な気持ちだと思う。
 例えばセーブできるというと便利で良さそうだが、プレイヤーの気持ちとしては「セーブしないといけないほど時間がかかるのか」という気持ちが先にたつ。
 だから脱出ゲームはセーブできない方がいい。

 脱出王では所謂「面クリア」方式にしたので、一部屋を「ひとつの脱出ゲーム」と捉えるとかなり短い。数秒でクリアできる部屋もある。
 パスワードコンティニューはセーブと同じ気持ちを起こさせる物ではあるが、また別の「脱出ゲーム」を探す手間なしに次の「脱出ゲーム」が遊べるという、むしろ敷居の低い状態にしたとも言える。
 長いゲームはいやだが、短いゲームが沢山あるのは嬉しいだろうとの分析だ。

面白さの要素

難易度が高い

 これは「お手軽」とは逆のベクトルの「脱出ゲーム」の要素と言える。
 お手軽であることが特徴であるとはいえ、ゲームとしての面白さは困難を克服することで発生する達成感に負う所が大きい。
 つまり難易度もお手軽にしてしまっては、単につまらないゲームになってしまう危険がある。
 クリック範囲を狭めるとか、制限時間を付けるとか、複雑なパズルを入れるとか、色々な試みがなされ、ここが個性の出しどころと言えるだろう。

 脱出王では、そもそもテキスト入力でテキスト出力という時点で十分な難易度の高さとなるだろうとの予想の元、謎そのものはそこまで高くはしなかった。
 とにかく脱出できたという快感を早く味わわせないと逃げられる、という恐れも多分にあったので、特に序盤はこれ以上ない位に難易度は低い。
 でもけっこう「キーボードを使うゲームと気づかずに、クリックを続けて挫折」とか「ミルが分からずに挫折」とか多いようだ。
 正直なところ、こういう人たちを救済する方法が私には分からない。

 誰かがプレイしているところのムービーでも見せるしかないんじゃなかろうかとも思うが、それ自体が軽さを阻害する要素でもある。すぐゲームしたいのにムービー…私はいやだなぁ。
 別ファイルにすりゃいいとも思うが、そういう迂闊な人が、別に用意した解説ムービーの存在に気づく事を期待できない。
 とはいえ、予想以上にCUI入力のイントロでコケる人が多かったので、そのうち作るかもしれない。

 年に、脱出王ではなく虚空の揺籃ですが動画作ったので参考にどーぞ。

コミュニケーション

 コミュニケーション手段としてのゲームという側面が脱出ゲームにはある。
 難易度の高さも、つまり「難しい謎を攻略した→だれかに教えたい」という欲求と「謎が難しい→誰か教えて」という欲求が見事に合致し、コミュニケーションを促す仕掛けと言える。
 基本的には、難易度が高いほどコミュニケーションが持続し活発化する。
 これは、インターネット時代のゲームならではのバランス調整の指針とも言える。

 脱出王ではコミュニケーションの事を考え、ランダム要素などの攻略法を伝えにくいものを避けた。
 例外的に使った部屋は、一部屋だけ違うことにより、逆にコミュニケーションを活発化させるんじゃないかとの目論みがある。
 またクリアという目標からすると重要度の低い脇のルートに、難易度の高いパスや部屋を置いた。
 クリアの難易度を上げず、コミュニケーションの活発化を図る仕掛けだ。

 ただモロバレなら簡単に教えられるが、それとなく教えるということが非常に難しいという欠点には製作中には気づかなかった。
 幸い、それはそれでコミュニケーションが盛り上がる要素になった。
 つまり、脱出王をプレイしクリアする遊びと同時に「上手くネタバレしないようにヒントを与える」という遊びが成立したのだ。
 予想してない嬉しい発見だった。

発見の楽しさ

 脱出ゲームにはアドベンチャーゲームとしての原初的な魅力がある。
 そのひとつが家捜しの面白さである。
 あちこちさがしてメモや道具を発見する、これが楽しい。

 脱出王はこの部分を大切にし、様々な仕掛けを行なった。詳しくは脱出王のゲームデザイン(2)で語っている。

道具を使う楽しさ

 家捜しをすると道具を発見する。発見したら使いたい。
 新たな道具を使うという行為は、まず文句無く面白い要素といえるだろう。

 脱出王では、ごく当たり前の使い方から意外な使い方(コマンド)までバリエーションをもたせて、道具の発見→使い方(使う場所)の発見、と二段階に楽しめることを意識した。
 また、固定された道具(家具)も積極的に使うようにした。

脱出の喜び

 「出たことあるけど入ったことがない部屋」なーんだ。
 それは子宮。つまり脱出ゲームは出産・誕生の喜びの追体験と言える行為である。
 そりゃ嬉しいというものである。ほとんど無条件に「やった!」と思える黄金のシチュエーションであると言えるだろう。
 それを中心に据えた脱出ゲームが、面白くないわけがないのである。

 そこで結論。

そりゃ流行るわ、脱出ゲーム