ボタンの共通機能
遊びにくいゲームは何が問題なのだろう
プレイの違和感
ゲームをプレイしていて、画像も音も素晴らしい、ゲーム自体も良くできている、でもなんだか遊びにくい、イライラする。そんなことは無いだろうか。
十中八九、そのゲームに常識が無いから、その違和感が出るのである。
今回は特に、ボタンにまつわる常識にスポットを当てて考えてみることにしよう。
プラットフォームの常識
現在、Aは決定、Bはキャンセル(SEGA系のゲーム機だとCも決定)ということで、同じゲーム機では、決定操作の共通化がなされている。
これは、色々なゲームをプレイする場合、非常にありがたい。
しかし、特に初期のゲーム機では共通化されていなかった。
最近では、プレイステーションで○が決定だったり、×が決定だったりして、共通化が図られていなかった。実に分かりにくい。
これは、ソフトメーカーにだけ責任を負わせるのは、少々酷というところもある。
というのも、×は日本ではネガティブな意味しかないのだが、×がチェック(YES)の意味、つまりポジティブな意味を持つ文化圏も少なくないのであり、海外のゲームで×を決定にしたくなる気持ちも良く判るのである。
これは、明らかにSCEIのリサーチと、制作者への操作共通化の徹底不足といえる。素直にA,Bボタンにしときゃいいのに、変な独自性を出して失敗した例と言える。
とくにコレはハードウェアの問題であるだけに、容易に変更できず罪は深い。しかも、そのハードが売れているのも、事態を悪化させている。
幸い、少なくとも現在の国内では○が決定、×がキャンセルという共通認識ができているようだ。
ちなみに、PSのソフトウェアリセットの操作については、現在も共通化されていない。決定操作にくらべれば、問題も小さいが、ゲーマーにしてみれば大問題である。
有名作品の常識1
特にファミコン時代に顕著だが、任天堂スーパーマリオブラザーズの影響で、Aがジャンプというのが共通認識となっていた。
ところが、Bをジャンプにしている類似ゲームも存在しているのだ。スーマリが売れに売れた後でだ。
はじめてゲームをした人間なら兎も角、当時ファミコンを持っていてスーマリをやったことがない人間は存在していないといってもいい。
それどころか、殆どの人間はやりこんでいたと言ってもいい状況に、なぜBがジャンプ!!
「Bはダッシュだろー、もークソゲー決定」
といって放り出されても制作者は文句言えないのである、他が幾ら良くできていても、それじゃダメなんである。
ブレーキとアクセルが逆じゃ、車は売れないのである。
有名作品の常識2
カプコンストリートファイターⅡでは上がパンチボタン、下がキックボタン、右に行く程強力な攻撃になる。
ところが、SNKの格闘ゲームでは、同社の類似ゲームでさえボタンの並びが一定の法則を持っていない。
もちろん、今までの作品の手法を踏襲するだけでは、新しいものはもちろん、面白いものだって作れなくなっていく。
しかし、ただ変えるだけでは新しいものにはならないのも真実である。
多くのゲームセンターではSNKの対戦格闘が、ストII式の並びに変更されている事実が、SNKの妙な独自性の意味の無さを証明している。
一応、フォローらしきものを入れておくと、純正のNEO GEO(MVS)のボタン配列が直線的であるため、純正のものではハード的にカプコン式の配列には出来ないという問題があった。
といっても、サターンやプレイステーションへの移植で、「上が弱・下が強(又は逆)、左がパンチ・右がキック」みたいな配列をデフォルトにするのは、どう考えても頭悪い。
また、同じSNKの作品でも武力 -BURIKI・ONE-のレバーとボタンの位置の左右を入れ替えるという変更は、常識はずれだが意味のある操作系の変更だった(売れたかどうかはおいておくとして、それなりの面白さもあった。少なくとも、Hyper NEO GEO64では最も優れたゲームだろう)
まずは守って欲しい、公共ルール
他にも、多くのほとんど常識となっている操作や、ボタン割り当てがある。
常識から変更すれば良くなると確信できる時でさえ、常識からの変更は、プレイヤーの違和感というリスクを伴う。
特に、それがゲームの根幹となる操作である場合、よくよく考える必要がある。そこで嫌われたらお終いだ。
これは、コマンド名や並び、アイテムの名前や効果などにも言えることだが、そのことについては、別稿で取り上げたい。
そこで結論。
変えりゃイイってもんじゃ無い