遠隔操作という感覚
画面の中のキャラクターを動かすのは、何故こんなに面白いのか
ゲームの中の遠隔操作感覚
ゲームの面白さの一つに、遠隔操作の面白さというのが確実にある。
直接触っていない、もしくは(ディスプレーの中など)触れないものを動かすというのは、何故だかそれだけでドキドキするほどエキサイティングな行為だ。
ラジコンはそのカスタマイズ性とミニチュアリズム、そして何よりも遠隔操作感でコンピュータゲームと非常に近しい関係にある。操り人形の面白さとも言える。
その面白さを分解してみよう。だいたい以下のようなものが考えられる。
- 触れば動かせるのに、それをやらない(やれない)もどかしさ
- 操縦することによって得られる征服感
- 操作に習熟していくことによる達成感
操作法別の遠隔操作感覚
先に上げた事を考えに入れると、画面上でキャラクターが元気よく動けばプレイヤーが喜ぶかといえば、そんなことはないということは分かるだろう。
遠隔操作の面白さを求めているプレイヤーにとって、キャラクターは勝手に動いてはいけないのだ、プレイヤーはキャラクターを動かしたいのだから。
そこにイベントシーンの罪がある。
ただし、イベントでボタンをただ押すだけであっても、最低限度のものではあるが遠隔操作感はある。
こちらが操作しない限り、次の動作をしないというだけにしても。
遠隔操作は、必ずしも「その場」で操作ができる必要はない。プレイヤーの介入の余地があるのならば、遠隔操作の面白さはある。ラジコンの面白さに対するミニ四駆の面白さと言ってもいいかもしれない。
例えばアートディンクカルネージハートのような事前にプログラムを行うようなもの。アスキーダービースタリオンのように、それまでのプレイが反映されるものである。
これらのものは、逆にその場で操作ができないことで、より1の触れないもどかしさの要素が強くなり、キャラクターへの感情移入が高まる効果もある。
ただし、2.や3.征服感や達成感の要素は操作→反応の直感的な分りやすさが無いので、当然だが低くなる。
RPGやアドベンチャーで中心となるコマンド選択式は、多くの選択がプレイヤーに与えられる利点があり、このことは遠隔操作感覚を高める効果がある。
しかし逆にアクションゲームに比べると、操作→反応のサイクルのテンポが悪く、遠隔操作感を落とす。また3.の操作に習熟する達成感の効果もほとんど無い。
やはり、ボタンなどの入力機器からの入力が、キャラクターの行動とイコールの関係である操作が、操作が瞬時に反映されることから、一番遠隔操作感が強い操作方法であろう。
ジャンルの中の遠隔操作感覚
現在最も複雑な動き(遠隔操作)が瞬時に可能なゲームは、対戦格闘ゲームである。
ひたすら技を練習したり、変な動きをさせてみたりと、それだけでも十分な魅力がある。
ただ、対戦格闘ゲームの場合、「キャラクターがもう一方のキャラクターに働きかける」以外の行動はほとんど取れない。
アクションゲーム、特にアクションRPGの場合「キャラクターが世界に働きかける」事ができるので、キャラクター単体では単純な動きしかできなくても、アイテムやマップとのかかわりで複雑な動きをすることができる。
ゲームを進めるのを忘れて、ひたすら草を刈ったり、壺を割ったりするのに夢中になった人も多いだろう。
遠隔操作を面白さの指標にするのならば、これらのジャンルがもっとも面白いゲームが多いと言える。
クリエーターの中の遠隔操作感覚
ゲームの面白さの一つが遠隔操作である、ということを知っているクリエーターは強い。
任天堂の宮本茂氏が言った、「ゲームは触れる絵である」というのは、まさに至言である。
元任天堂、開発部長にして株式会社コトの社長であった故横井軍平氏の、エレクトロニクス部門以前の代表作がウルトラハンドという改良型マジックハンドであり、ファミリーロボットやバーチャルボーイを開発したのも氏であることからも、彼が相当に遠隔操作感というものを大切にしていたことが伺える。
いろいろと分析してみたが、面白いことは最終的には理屈が無い、面白いから面白いのだ。
ただし、何が面白いのかは判る。
そこで結論。
動くのを見たいんじゃない、動かしたいんだ