漫画を定義する

世の中に漫画的なものは多い、では漫画の本質とはなんだろう

漫画とは何だ?

 前回は「コマがあり、フキダシがあり、キャラクタがいる作品」を漫画とした。
 まぁなんツーか私には、こういうジャンル語りをする時には大上段に構えずにはいられない癖がある。
 そんなわけで、漫画でも大上段に構えて、もうすこしきちっと定義なんぞしてしまおう。

  1. 全ては視覚表現による
  2. 文字以外で表現された、自立的に動作または思考するキャラ
  3. 前述のキャラの意思が記号によって表現される
  4. 空間的に連続した視覚表現
  5. 進行が受け手の意思で可能
  6. 静止している

 上の方が重要度が高い。5をもっと上に上げた方が良い気もする。
 視覚表現とは目が見えないと無くなる表現全てだ。
 では、検証してみよう。

じゃあ絵本は漫画か?

 その答えは「漫画である絵本もある」だ。キャラがいない絵本もあるからだ。
 キャラが喋る場合は漫画といえる。絵巻物も同様だ。
 漫画と絵本は地続きの表現だといえる。

紙芝居は漫画か?

 セリフが音声なので、漫画ではない。
 受け手の意思で進行できるわけでもない。
 ただし、演者側から見ると漫画といえる。

キャライラストは漫画か?

 漫画の定義の上位2つを備えていて、かなり漫画だ。
 しかしそこから下が弱い。ゼスチュアも記号と捉えられなくもないが、記号といえるほど定型化しているわけでもない。
 漫画とはいえない。

字幕付き洋画は漫画か?

 キャラが出る、文字のセリフもある。
 しかし音声がある、漫画ではない。

サイレント映画は漫画か?

 キャラが出て文字のセリフもあり音声がない。
 ビデオなら、受け手が流れを操作することも可能。
 限りなく漫画だが、空間的な連続によらない。惜しい、漫画じゃない。
 しかし漫画と言っても間違いとは言い切れない。
 再生装置が、ボタンを押している間だけ動く、というインタフェースなら漫画と言っても良いだろう。

サイレント漫画は漫画か?

 漫画だ。文字がなくても漫符などのキャラの意思を示す記号は無数にある。

美術館の展示+解説文は漫画か?

 その美術品がキャラそのものかキャラを含むものであれば、解説文という文字を得た時に漫画になる…可能性がある。
 しかし大抵そうではない。解説文はキャラのセリフではないからだ。
 解説者をキャラと見ることもできるが、視覚表現されてはいない。

ワイドショーは漫画か

 フリップやテロップで文字が出、キャスターと言うキャラがいるワイドショーは漫画に極めて近い。
 しかし、フリップはキャスターのセリフではない。

ラノベは漫画か

 どう見ても漫画です。

アニメは漫画か?

 セリフが文字じゃないので漫画ではない。漫画映画だ。

図解は漫画か?

 漫画の本質にかなり近いが、キャラもセリフもない場合が多い。

ゲームは漫画か?

 音が付いていないことは稀なので、漫画ではない。
 が、大抵は音がなくても成立するので、漫画と言っても間違いではない。

ぱらぱら漫画は漫画か?

 セリフが書いてあったら漫画だ。

さて、そんな感じで

 こういうことをやって意味があるのか、といわれるとそれほど意味のない児戯に近い。
 しかし、このサイトのというか私の性格上、絶対やっておきたいことだ。

 夏目房ノ介は漫画とは「線」だと言っているが、私の感覚とは相容れない。漫画の絵はdraw、paintを問わない。それどころか視覚表現は写真や立体物であっても何ら構わない。勿論「ドット」でできていても構わない。
 スコット・マクラウドは漫画は「イコンでありアイコンである」としている。それは漫画の一面ではあるが、一面でしかない。また「連続的絵画(seaqencial art)」だとも言っている。わりと良い解釈だと思うが、やはりそこは記号あっての漫画かとと思う。まぁ、その二つを合わせれば、ほぼ私の定義と重なるわけだが。
 他にも、コマが漫画の不可分の要素だと言う論も良く見かける。これはちょっと違って、コマがあるから漫画になるのではない。コマは平面に連続した絵を置くという要請から導かれる結果であって、漫画の成立条件ではない。
 そんなものより、私はキャラが極めて重要な、漫画と不可分の要素だと考えている。

 そこで結論。

キャラ絵とセリフ文、それが漫画